経験と総括・1
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- 今日はどうぞ、よろしくお願いします。最近、山野さんはどんな感じでしょうか。
- 山野
- 最近はありがたい事にとても充実しております。去年は実は色々しんどくて・・・。ご存じかもしれませんが努力クラブも辞めて・・・。余談なんですが僕四柱推命とかタロットカードとか占いが好きなんですけど専門の方に聞いた話だと大殺界の1番しんどい時だったそうで(苦笑)。もう演劇をやめようとまで思ってたんですけど。
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- ええ。
- 山野
- でも努力クラブ を辞めてから自分はやはり演劇を求めているんだと。演劇が大好きだと気づいて。
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- あごうさんのWS公演に参加されてますね。その影響があったりしますか?
- 山野
- ありますね。大きいです。芝居を全く0の状態から、しかも全く初めて会った人達と造るということは難しいことなんですよね。付き合いも短いし、まだお互いのことがよくわかっていない状態から造っていかなくてはならないわけですから・・・。しかしそこがWS公演の難しいところでもあり、同時に醍醐味でもあると思っているんです。今は楽しいですよ。
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- なるほど。
- 山野
- そういう訳で立ち直れたんですが、やっぱり大きかったのはTHE ROB CARLTON の「シガールーム」 に出演した事ですね。すごく良い経験でした。まず、脚本がとても難しかったんです。全然上手くできなかったんです。
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- 残念ながら見逃してしまったんですけど、相当面白かったそうですね。どんなお話だったんですか?
- 山野
- 19世紀初頭の大富豪達の話です。大富豪達がシガールームで葉巻とブランデーを楽しんでいるうちにドタバタ騒ぎになるという(笑)人生初めての外国人役で、シガールームで優雅なひとときを過ごすというシチュエーションも初めてで。大富豪の流麗な動きなんて映画で観たことがあるくらいで実際に芝居でやった事もなかったので(苦笑)あんな緊張した舞台は初めてでした。それで周りの皆さんにすごく迷惑を掛けてしまったんです。でも、THE ROB CARLTONのみなさんがとても気を使って良くしてくださって。嬉しかったですね。「こんな大舞台を経験させてもらった自分はなんて幸運なんだ」と。
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- ご自身では、「シガールーム」はどんな体験だったと総括していますか?
- 山野
- 「自分は一人で生きているんじゃないんだ。」と思い知らされましたね。色んな人のお世話になって色んな人に優しくしてもらって・・・すごく嬉しかったし、人生観が変わったような気さえしています。
努力クラブ
2011年3月に佛教大学劇団紫で団長をしていた合田団地と立命館大学劇団西一風で座長をしていた佐々木峻一を中心に結成。現在団員は四名である。京都を中心に活動している。(公式サイトより)
THE ROB CARLTON
京都で活動する非秘密集団(こりっちより)
THE ROB CARLTON 7F「ザ・シガールーム」
公演時期:2014/2/7〜2/11。会場:元・立誠小学校 音楽室。
猿そのものは死んだ
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- 「猿そのもの」という芸名から、本名に戻りましたが、どんな心境の変化がありましたか。
- 山野
- 「猿そのもの」という芸名に最初はちょっと抵抗があったんですよね。ただ、そのおかげで多くの方に知ってもらえて人気が出たというのも間違いのない事実なんです。THE ROB CARLTONの「フュメ・ド・ポワソン」に「猿そのもの」の名前で出演した時も評価してもらえましたから・・・。正直にお話しすると本名の山野博生(ひろき)に戻すのもちょっと迷ったんです。実は今も「猿そのものでいいんじゃないのか?」という方は割といらっしゃるんですよ。覚えやすいし、良い名前だと(笑)そう言ってくださる方達には申し訳ないんですけど僕はずっと不安で・・・。長い目で見たらいつかツケが回ってくるんじゃないかと思っていたんです。「猿そのもの」と名前だけ知っている方が多くなって、「自分は有名になった。」と勘違いしてしまうんじゃないかと、調子に乗ってしまうんじゃないかと。
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- なるほど。
- 山野
- 僕は役者としてはまだまだですから。あくまでも舞台上で演劇を成立させることを第一に考えるべきだと。あくまでも演劇に真摯に向かい合うべきだと思っているんです。自分の今の実力には不自然な、自分の実力で勝ち得たわけではない知名度を得てしまうのは良くないと考えたんです。
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- 「猿そのもの」を辞めた事で、今はどんな気持ち?
- 山野
- 楽ですね。「猿そのもの」で覚えてくださった方には申し訳ないですが、憑き物が取れたというか・・・。ただ誤解のないように言いますと今も愛称として猿、猿と呼んでくださる方はいらっしゃるんですけどそれは別に構わないんですよ(笑)そう呼んでくださる方に悪意がないのはよく分かりますから(笑)あくまでも自分の中のけじめとしてはっきりしておきたくて。「猿そのものという俳優は死んだんです。私は山野博生です。」と。
不器用の効用について
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- 役者としての山野さんが好きです。不器用で素直で、嘘がないというか。その受け止めやすさがユニークな俳優だと思うんですよ。
- 山野
- ありがとうございます。そうですね、器用な人間ではないという事は自覚しています。ただ、不器用だという事は悪い事ではないと思っています。
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- というと。
- 山野
- 野村克也さんの教えに「便利は弱い、不便は弱い、器用は弱い、不器用は強い」という言葉があるんです。「便利なものに頼りすぎる者は弱い。不便なものは使えない。器用に何でもこなす者も、いざというピンチで対応できないことがある。不器用な人間は、それを克服する努力を重ねたとき、底力を発揮する。」この言葉に出会った時、「これだっ!!」って(笑)僕は不器用なので、失敗の度にボコボコに言われるんですけど、20年先ぐらいに「言われておいてよかったな」と思える気がしています。長い目で見ればこれはずっと得な経験なんだと。だから、不器用だと言われるのは別に恥だと思っていません。
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- そこが山野さんの味でもあるんだと思いまして。そういう部分が好きですね。
経験と総括・2
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- 山野さんがお芝居を始めた経緯を教えてください。
- 山野
- 高校2年の時に文化祭で、クラスで演劇を作る事になったのが人生最初の舞台でした。ちなみに、高校の時の担任の先生が劇研アクターズラボの田中遊さんの公演クラスに参加していたんです。渋谷善史さんという方で現在も田中遊さんのユニットの正直者の会.labで活動されています。その渋谷さんのクラスで文化祭に出て舞台に立ったのが最初です。
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- いかがでしたか。
- 山野
- 良かったです!!すごく褒めてもらえて・・・。高校時代の唯一のいい思い出ですね(苦笑)重要な役でプレッシャーも大きかったし、仲間同士で衝突もしたりで大変でしたけど・・・。本当にやっておいて良かったです。僕の人生を大きく変えた出来事でした。しかし、その舞台の直後に急激に体調を崩しまして・・・病院に行ったところある精神科の病気になってしまっていたんですね・・・。実は育った家庭の環境が非常に悪くて・・・物心ついた頃からあまり自分の家庭が好きではなかったんです。そのストレスからか高校に入学した頃から体調も精神状態も悪く、騙し騙し必死に耐えていたんですが、ついに溜まりに溜まったフラストレーションが爆発してしまって・・・。以来学校にもまともに通えなくなり、処方薬依存でボロボロの状態で勉強どころではなくなってしまって・・・。なんとか高校は卒業できましたが当然受験勉強も進学出来ずそのまま自宅に引きこもるようになってしまったんです。
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- なるほど。
- 山野
- それからしばらくブランクが空くんですが、22歳の時にインターネットで某演劇サークルがメンバーを募集していてそこに入ることにしたんです。理由としては当時の僕は仕事も勉強もできていない、友達もほとんどいない、まあニートだったわけで・・・(苦笑)それが嫌で少しでも社会との接点を持たなくてはと思ったんです。「あの時素晴らしい経験を与えてくれた演劇なら自分に希望を与えてくれるのでは・・・」という思いで(苦笑)で入団してしばらく活動していたんですが正直ものすごく面白くなかったんです。考えが甘くて、だらだらしてて。あまりにも演劇を趣味として見ていたので。
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- つまり、良くなかったんですね。
- 山野
- そうですね・・・。そこでしばらく悩んでいたんです。「そのサークルを辞めようか・・・しかし辞めたところで全くの無名の僕がどうやって芝居を続けるのか?いや自分が頑張ってそのサークルを立て直すべきなのか?しかしそのサークルの方達とは根本から考え方が違うのでは?」とかウダウダ考えている矢先にふつうユニットの廣瀬信輔さんと出会ったんです。確か2011年の1月だったと記憶しています。そこで廣瀬さんに気に入ってもらえてふつうユニットの「スペーストラベラーズ」という作品に出演させていただいたんです。その現場で廣瀬さんや他の共演者の皆さんに良くしてもらって・・・随分久しぶりに同年代の人達と関わることができて、喋って、遊んで、作品を造って・・・本当に楽しい現場でした。これをキッカケとして人と関わることを覚えて、徐々に引きこもりからを脱出することができたんです。
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- 廣瀬さんと出会ったのはどんな経緯が。
- 山野
- 谷さんが参加されていた、劇研アクターズラボの「恋愛論」という作品の挟み込みに、ふつうユニットの出演者募集のチラシがあったんです。当時の僕は今以上に演劇のことを何もわかっていませんでしたから・・・堅苦しいチラシとかだったら逃げ腰になってしまって絶対行けなかったと思うんですけど、そのふつうユニットのチラシがまあ、そのあまり上手くない絵が表にデカデカと描いてあって(笑)書いてあることも砕けた内容だったのでここなら自分でもと思い連絡をとってみたんです。そしたら連絡してきたのは僕一人だけだったらしくて(笑)それがきっかけで(苦笑)もしそれが無かったら現在の自分はなかったかもしれませんね(苦笑)
経験と総括・3
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- これまでに苦労した作品はありますか。
- 山野
- いっぱいありますね・・・。一番難しかったのは先ほどもお話に出た「シガールーム」でした。何回も言いますが難しかったです。ただ確かに技術的にはしんどく、プレッシャーも大きかったわけですが、現場は楽しく、やりがいも感じていました。苦労した分得たものも大きかった公演でしたね。苦労というならほかには、烏丸ストロークロックの柳沼昭徳さんの現場ですね・・・。柳沼さんが劇研のアクターズラボの公演クラスの講師をされていて僕は2011年?2012年の1年間だけ受講したんです。「山下君が死んだあとのこと」という作品に出演させていただきました。廣瀬さんに紹介していただきまして。この現場で僕は柳沼さんにボコボコに叱られたんです。完膚なきまでにボコボコに(苦笑)具体的な内容は言えませんが・・・(笑)その時は辛かったし、なんでこんなこと言われるんだろうと思っていましたが今から考えると言われておいて良かったです。柳沼さんの元で学べたことが自分の大きな糧となったと思っています。
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- なるほど。
- 山野
- それからココロからだンス8期の発表公演ですね。今となっては貴重な経験でしたが、全体的に出席率があまり良くなくて稽古が上手くいかなかったんですね。僕自信も足を負傷してなかなか稽古に行けず迷惑をかけてしまって・・・申し訳なかったんですが・・・。参加者の一人一人の距離がなかなか埋まらず、信頼関係が構築できなかったんですね・・・。そしてそのままの状態で通し稽古をしたんですがこれがひどいもので・・・。「本当にこのままの状態で公演を打つのか?!」という話になって・・・。皆で車座になって話し合いました。そしてこのままではいけない、もっと頑張ろうと皆で決意を固めて何とか間に合わせたんです。正直悔いは残りました。もっとできたんじゃないかと・・・。しかし舞台に対する思いが変わった公演だったように思います。舞台の恐さをほんの少しではあるが体験できたというか・・・。今から思えばこういう辛い公演の全てが僕をいい方向に変えてくれたと思います。ちなみに苦労無しで手放しで楽しかったのはTHE ROB CARLTONの「フュメ・ド・ポワソン」でしたね。この現場は楽しくて楽しくてしょうがなかったです。やっと自分の人生でもいい時が来たんだなと思いましたね。
どんなに努力をしても100%にならない
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- 山野さんが考える、魅力的な俳優とは?
- 山野
- どうなんでしょうね・・・満足しない事・・・ですかね・・・?。僕は常にそう考えようかと。そうやって自分を律したいと思っているのですが(できているかは別として)、今やっている芝居が最高のものだと思わないことかなと。「金を取って芝居をしていることを事を自覚しろ」ってよく言われますよね。それは単純にレベルの高いものを見せろということだけではないような気がしていて。その線引きも曖昧なわけですから。そもそも演劇に限らず勝負事というものは100%にはならないのではないかと。どんなに努力をしても100%にならない。もちろん目指すべきです。しかし、自分がやっていることに満足した瞬間、終わりが始まるのではないかと。自分より下手な誰かと比べて満足を得ることだけは絶対にしないようにしようと思っています。常に自分より上の人を探し続けたいし、そうなるためにはどうすればいいかと考えていきたいです。それから・・・これも演劇に限らないと思うのですが、必ずしも成功するとは限らないし、賞賛を得られるとは限らない。それどころか酷い失敗に終わる可能性もあるし、アンケートに「観ていられなかった」とか書かれるかもしれない。実際僕書かれたことがあって・・・。つまり負ける恐怖からは逃れられないわけで・・・。なんというか、いい作品を造って賞賛を得たいと思う、或はそれを目指して努力することの裏側には失敗してもそれを受け入れる責任があるのだということを自覚すること・・・が必要になるかなと思います。
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- なるほど。
- 山野
- だからといって勝てる勝負だけするか?いや、それは違う。
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- 勝てようが負けそうだろうが、そこに戦があるなら逃げないという事でしょうか。
- 山野
- そういう事かもしれません。不安はなくならないけれども、ここまでやったんだからどんな結果になっても受け入れようと。逃げ口上じゃなく、心からそう思えるまでやるのがいい俳優に必要な事だと思います。
質問 田中 次郎さんから 田中 次郎さんへ
質問 平林 之英さんから 田中 次郎さんへ
自分が溶けだして、役に絡んでいる
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- いつか、どんな演技が出来るようになりたいですか?
- 山野
- どんな演技・・・難しいですね。それを探しているところです。そうですね、自分の癖だとか、欲だとか、そういうのを一旦抜きにしたいです。自分が溶けだして、役に絡んでいるイメージ。それを俯瞰している自分がいる、そういう事が出来たら理想なんじゃないかと思います。
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- 俯瞰する?
- 山野
- 自分に自分でツッコミを入れるというか。欲とか癖を全部客観的に見ることができて、それを把握できることというかなと・・・。
これから
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- 今後、一緒に作品を作りたい人や劇団はありますか?
- 山野
- 予定として既に決まっているんですが、自分の所属する背泳ぎの亀の公演が8月にあって、それ以降は10月にドキドキぼーいずに出演致します。12月にはkatacottsというユニットの戸谷彩さんの演出で菅原陽樹さんという方と2人芝居を造ります。それからこれは完全に僕の願望で大変僭越なお話なんですが、許されるなら悪い芝居の山崎彬さんと御一緒してみたいです。すれ違った瞬間になぜか身震いして、「なんて恐ろしい人なんだ」と思ってしまって。WS行った時も、どこか別の世界に行っているような気がしてしまって。
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- 凄いですよね、あの人。さて、山野さんは今後、どんな感じで攻めていかれますか?
- 山野
- 絶対に辞めないでおきたいです。演劇で食べるってもの凄い難しいと思うんですけどね、このまま定職に就かず、演劇を続けたら後戻りできないぞとたくさんの人から言われるし。でも、辞めてしまうと何も残らないんです。とにかく辞めない事。
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- どんな形でもいいから続けていってほしいですね。
- 山野
- ありがとうございます。それと、俳優以外の分野として劇作・演出・コンテンポラリーダンスと、今年から来年に掛けては手あたり次第、やれる事を思いつく限りやりたいです。勉強する欲が高まっている感じですね。
サングラス
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- 今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントがあります。
- 山野
- ありがとうございます。
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- どうぞ。
- 山野
- (開ける)あ、夏だから。
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- よくお似合いです。