深奥からの声(吐血)
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- 今日はどうぞ、よろしくお願い致します。最近、脇田さんはどんな感じでしょうか。
- 脇田
- よろしくお願いします。去年の12月いっぱいでNPO劇研を辞めました。というのは、実は10月ぐらいに体調を壊してしまっていて。腰痛いわ、熱あるわ、しかも血を吐いたりしていて。スケジュールの管理が上手くいかなくて、パンクしてしまったんですね。体を休ませろ、という事なのかなと。1月くらいは暇になるかな、と思ってたんですが、声を掛けて下さる方もいて。デザインの仕事とか、舞台監督とか、3月からはスペースイサンの管理スタッフになる事もあり、案外暇ではなかったですね。腰治す暇はなかったです。
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- 吐血ですか。
- 脇田
- その晩、夜中の2時ぐらいに気持ち悪くなって、吐いたら血が混じっていて。それがどんどん血の色になっていくんです。これはアカン奴やと思って。今までは、これを頑張ったら山を越えられると思う事にして乗り越えてきたんですけど今回ばかりは無理だと。それをTwitterに書いたら翌朝母親から電話が掛かってきて。母親にTwitterが監視されてた事がわかりました。
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- ヤバい時は体が教えてくれるそうですね。
- 脇田
- そういう話は聞いていましたが、まさか自分がなるとは思わなかったです。それから、腰の痛みはヘルニアのなりかけだったそうなんです。病院で頂いた痛み止めを飲んだら痛みは収まったんですけど、起きたら体がガタガタしてきて。副作用のめまいというレベルではなく。
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- 肉体は何でも知ってる感じがしますよね。脳みそは絶対急所である精神を知っているから、精神のハンドリングを知っている。そして肉体もやっぱり、絶対急所である内蔵を守るために色々するんでしょうね。
- 脇田
- 自分は体が丈夫だと思ってたんですよ。冬だって裸足同然、サンダルで大丈夫だし。それがまさか、という経験でした。
脇田さんはカメラマン
- 脇田
- 一昨年の春にちょっとお金が入ったので、一眼レフを買ったんです。最初は劇研の仕事用に考えていて。劇研アクターズラボの稽古風景の撮影。で、その時に出演されていた大阪の女優さんが、自分のプロフィール写真を撮って欲しいという事で撮らせてもらったんです。その後、個人的な仕事としてですが、引き受けるようになりました。普段友達なのに、カメラを向けると照れてしまうのってありますよね。でも、撮っている内に、被写体の人はどうも、カメラのレンズが僕の目線だと気付いてくれるみたいなんです。レンズ越しに僕とコミュニケーションを取ってくれて、結果良い写真が撮れる、みたいな事が多くなって。何かしてくれとかは言わなくてもいい。普通に歩きながら会話しながら、そこで生まれた表情をそのまま撮る、みたいな時がいいですね。
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- 鑑賞者はたった一枚の写真から、どこまで辿り着く事が出来るんでしょうか。
- 脇田
- 僕が考えている事にどれだけ近づいてもらえるか、という事ですね。難しいですね。実はシャッターを切る時はそんなに深く考えていないんです。良いと思う瞬間という基準だけが自分の中にある。僕が知っているその人のいいところ、凄く素敵な表情を撮りたい。それだけが。それがうまく行けばなんでも上手くいくような感じがする。
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- 相手の良い所を撮影者が感じる。被写体の良い時というのは例えば角度や動きが織りなすもので、そこから一瞬を切り取る時の価値というのは、一体どこから来るんだろう?そこにしかないユニークさや、閃いた何かはもう絶対的ですよね。でも、こと人物の写真だったら、一体何が手がかりになるんでしょうね?
- 脇田
- 見てもらう人にとって、自分が見せたいと思っているところ。その距離、だと思うんですよね。撮影者とモデルの距離で、大分写真って変わるじゃないですか。構図もそうだし。
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- 人間関係の距離が、そのまま写真の要素になる。
- 脇田
- その時の僕らの関係性が、見ている人に疑似体験してもらって、その中で伝えられるんじゃないかなと思っているんです。その人の、「僕が良いと思っているところ」。他にもきっとあると思うんですけど、僕はそこを頼りにしています。この人のこの表情は、この角度が一番良い、ですとか。
願いは太陽を追いかける
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- ものを作る時の姿勢について。撮影とデザインとでは、共通しているところはありますか?
- 脇田
- どうしても自分語りみたいになってしまうんですけど・・・滋賀県の大学に入るまで、和歌山県に高校卒業まで住んでいたんです。小学校ではいじめられ、中学・高校までスクールカーストの最底辺で。でも、大学に入って一人暮らしを初めた事で、もっとポジティブに色々な事を体感していこうと思うようになったんですね。そこで演劇に出会って。
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- ええ。
- 脇田
- 大学で絵の勉強をして、演劇を作って、卒業してもそういった活動を続けて・・・自分が作る作品は、自分のネガティブな部分を踏襲はするけれど、最終的にはポジティブなものになっていければと思うんです。暗くても、最後には希望が持てるような。単純に、自分は明るさを持てないからこそ、その人の明るいところを焼き付けたいなと思うんですね。根っこが暗いんです。
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- 私も根暗です。
- 脇田
- まあみんな、そういう部分はあるかもしれないですけどね。死にたいとかたまに口をついて出てしまう、みたいな。
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- 他人の明るい部分を取り込みたい?
- 脇田
- そういう部分もあります。その明るい部分を上手く、作品に転化してみたい。
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- 何故そうなのですか?
- 脇田
- 一つは、単純に、ギャップを付けるという事だと思います。明るい人間が明るい作品を作っても、あんまり面白くないですしね。あとは単純に僕が見てきた作品がそう思わせてくれるものだった、という事だと思います。有り難い事に、友達には恵まれていました。友達が居なかったら引きこもりになっていた可能性は高かったです。高校2年の後半ぐらいから高校にはあまり行っていなくて、理由なく行かなくなってました。でも友達が居たから、ギリギリのところで踏みとどまっていたと思います。単純な話かもしれませんけど。
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- 明るい人を理解したいと思う?
- 脇田
- うーん、それは案外思った事はないですね。底なしに明るい人がいたら、その人は魅力的に見えるし、そうなってみたい自分もちょっとあったりするんですけど。でも今の自分がそんなに嫌いでもないし。ところで僕の名前は「友」で妹は「恵」なんです。親が、友達に恵まれますように、という願いを込めてくれたそうで。そういった自分を否定したいわけではないので、だからか、その人に成り代わりたいというのはないですね。
質問 土田 英生さんから 脇田 友さんへ
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- MONOの土田英生さんから質問を頂いてきております。「アトリエ劇研が無くなりますが、どう思われますか。」京都から、演劇の拠点がまた一つ無くなってしまう事。もちろん土田さんも問題に思われているそうで。
- 脇田
- 何となくですが、転換期なのかもしれない、と感じています。その大きな流れは変えられないですよね。移り変わったらまた戻ってくるものじゃないですか。そういう時代がやってきて、新しい拠点が作られるんじゃないかな、と。
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- 劇場が無くなったからと言って、演劇を辞める奴はいないですからね。
- 脇田
- 集まる場所がなくなるのは辛いですけどね。集うだけで何かが生まれるものだと思うので。
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- 精華小劇場が無くなった時の寂しさをまた味わうのかな。
- 脇田
- 学生の頃、2回ぐらい行った事はあります。無くなるという事に危機感を持つ若い世代もいるんですよ。まだこれは言えませんが、ちょっと企画もあるみたいで・・・
焦燥感
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- 京都に来てまだ数年の脇田さんに伺いたいのですが、京都だからやりやすい事などはありますか?
- 脇田
- ちょっと行ったら大阪に行ける、みたいな事。田舎者の自分としては、単純に創作の資料を集めやすかったりするんです。反面、押しつぶされてしまうプレッシャーを感じがちですね。それから、朝起きた瞬間、今すぐ一人暮らしを止めたいと思うような瞬間が何回もあるんです。僕が育った田舎は何もなくて、田んぼに囲まれて、自転車で30分行かないとコンビニがないみたいな。でも、何もないという事が豊かだという側面もあるんですよね。たまに18年暮らした実家に帰って、しばらくして京都の自分の部屋に戻った瞬間に、六畳一間のこの部屋の狭さ、壁紙の向こうの何かが自分を押し潰してくる、空を見上げても狭い、みたいな・・・
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- 東京の人には京都は田舎に見えるのかもしれないですけどね。時間が止まってるみたいな言われ方をしてるらしいし。
- 脇田
- 東京出身の人とか、きっとそうなんでしょうね。
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- 人口密度が高まれば高まるほど速度が上がっていくのか。
演劇に出会う
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- 成安造形大学に入ったのはどういう経緯でしたか。
- 脇田
- 高校3年生になって、美大入学を意識して、画塾に通うようになって。そこの先生がオススメしてくれたんです。
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- 何故、美大に?
- 脇田
- 自分が、経済学部とかに入るようなイメージが持てなくなって。面談の時に、そういう大人になりきれない事を言ってしまったんですよね。でも絵が描きたいという気持ちしかないんだ、と自覚して。今思えば子どもだなと。
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- いやあ、高校3年生で無理矢理に進路なんて決めきれないでしょう。
- 脇田
- 僕も、何がなんだか分かってないですから。でも、成安に入らなかったら演劇をやってなかったかもしれません。オレは油絵を描くんだと思って入学して。30人ぐらいしかいない教室に劇団しようよの大原渉平がいて、ある日突然「ワッキー、演劇やろうよ」と、急にいきなり言われて。で実際に演劇作品を見てみたら面白くて、演劇ってこんな事がやれるんだ、って。演劇なんて、和歌山で見たのは数少なくて。演劇って、こんなにあるんだ、というのが衝撃的でした。
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- その時の芝居が面白かったから、演劇を始める事が出来たんでしょうね、きっと。
- 脇田
- 演劇部のみんなで、唐ゼミを観に行ったんですよ。テントにゴザを敷いて座るし、物が飛んでくるし、なんだこれ、って。衝撃的で、今でもよく覚えています。
小林まゆみ10周年記念企画 一人芝居「嫌だ!」
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- さて、もうじき小林まゆみの10周年企画ですね。脇田さんは演出をされるんですね。
- 脇田
- 演出と企画全体の舞台監督と、チラシのデザインと、制作アドバイザーみたいな。
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- 全部ですね。ごまさんの芝居の演出が出来るんですね。
- 脇田
- 1年ぐらい前、そういう企画をやりたいと小林さんが相談してきて。脚本はごまさんで、演出はワッキーがやってほしい、と。
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- そんなに前から動いていたんですね。
- 脇田
- 何より、ごまさんの脚本が素晴らしいんですよ。シンプルなんですけど、小林まゆみにとっては課題があり、お話の内容にしても10周年としては「何でこれをやったの?」と言われるかもしれません、が、もっと深みを持たせてお客さんの前で上演する事が出来れば、これこそ10周年でやる意味のある作品になると思います。
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- 小林さんの、どんな芝居が見れるのかな。
- 脇田
- 色々見れると思います。大きな舞台で大きな演技をするのが彼女の得意とするところなんですけど、今回は繊細な芝居です。
小林まゆみ10周年記念企画 一人芝居「嫌だ!」
小林まゆみ:大学在学中の2006年6月より、京都のフリンジ演劇集団、劇団衛星に入団。入団後は所属劇団やユニット美人、笑の内閣などに出演する。子供向け演劇ワークショップ講師としても活動。2009年8月に同劇団を退団。2011年よりKAIKA劇団 会華*開可の旗揚げメンバーとなる。近年の外部出演作品として、笑の内閣「65歳からの風営法」、ピンク地底人「ココロに花を」、第18回女性芸術劇場「姉妹たちよ」などがある。近年好きなマンガ第一位は「ちはやふる」。公演時期:2016/2/19~21。会場:KAIKA。
ユーティリティとして
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- さて、そろそろこのインタビューも終わりに近づいています。
- 脇田
- このサイト、肩書って入りますよね。何か僕、どういう風に乗ればいいのかって悩んでいて。
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- それは確認しようと思ってました。デザイナー、舞台監督、演出、俳優、全て並べますか。
- 脇田
- 昨日、竹崎さんが「ユーティリティはどうか」と。
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- ユーティリティ!サッカーか。
- 脇田
- そうなんですよね、めっちゃ器用貧乏だとみなさんに評されて。いや、良くないと言われるんですけど、僕は問題だと思ったことはなくて。専門職の方には敵わないんですけど、でも器用貧乏の良さはあると思うんですよ。若旦那家康さんとも夏にそんな事を話してました。
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- だから、ユーティリティ。
- 脇田
- チラシのデザインがもっと、水準が上がればそれを中心に手を伸ばしていきたいと思います。
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- 今後、どんな感じで攻めていかれますか。
- 脇田
- 今までと変わらず、良い作品を作り続けていく事。結局、それしかないのかなと思います。自分の生活を整えるとか、しっかりとギャラを貰える仕事をするとかの事もありますけど。でも結局作品を作るという事に集約していくんですよ。全部自分に集約していくんです。あと、LINEスタンプの第二弾と、LINE着せ替えがリリースされたらそれも作ろうと思います。
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- 普通に使ってます。ウサギのスタンプ。可愛いですよね、あれ。
- 脇田
- ありがとうございます!
子どもの玩具の独楽
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- 今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持ってまいりました。どうぞ。
- 脇田
- ありがとうございます。(開ける)
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- 独楽です。
- 脇田
- ああ、可愛いなんかこれ。へえ。
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- 気分転換の時にでも、是非。