演劇人にインタビュー 頭を下げれば大丈夫
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よく見れば何でも面白い

__ 
久しぶりに会えて嬉しいです。今日はどうぞ、宜しくお願いします。最近はいかがですか?
安田 
久しぶりやね。最近というか、まず劇団をやめたところから話すと・・・。
__ 
ええ。
安田 
ニットキャップシアターを辞めてから一年間くらい、京都でバイトしたり車の免許を取ったりしていました。その間もぼーっとこなしていた訳じゃなくて、職業としては人と関わる仕事に就きたいなと思っていて、どうしようかなと思ってたんです。いつ頃か、オカンが理学療法士という仕事があると教えてくれて。「ああ、それは良いかも」と思って。で、いろいろ考えた末に、今は作業療法士の国家資格を目指して、大阪の専門学校で勉強しています。
__ 
今は、一年生?
安田 
そうそう。この歳でする勉強は面白いよー。中学・高校って、「何で勉強しているのか」を思うことすらなく勉強してるじゃないですか。目的意識が全くない頃と比べて、今は自分が何がしたいのかがはっきりしているから、先生の言っている事が入ってきやすいんですよ。演劇をやっていたからか、セリフ覚えと同じように、暗記力があるというのが大きいけどね。まあ正確にはちょっと違うんやけど、こと「覚える」という部分では使う所は一緒な気がする。
__ 
時間を経てそれなりの経験や分別をもってから、新しい分野を始めるのは楽しいですね。
安田 
うん。演劇をやっていて、価値観が変わったというのも大きいね。ニットの昔の公演「じょうどこちらへ」というお芝居のチラシに「よく見れば何でも面白い」って書いてあった事を思い出します。その当時は「ほー」ってぐらいだったんですけど、演劇に関わって、派手でも地味でも、本当に「よく見れば何でも面白い」と思えるようになりました。そういうふうに思えるようになってから、本でもアニメでも映画でも、気になったものは一回観てみようと思えるようになりました。
__ 
価値観が幅広くなった。
安田 
うーん。「広くなった」かどうかはわからないけど、とにかく一回観てみたそのうえで、それに対する「好き嫌い」を明確にするようになりました。その作品が自分にとって何で、どうなのかを判断することが出来るようになったと思う。
ニットキャップシアター

京都を拠点に活動する小劇場演劇の劇団。1999年、劇作家・演出家・俳優のごまのはえを代表として旗揚げ社会制度とそこに暮らす人々との間におこる様々なトラブルを、悲劇と喜劇両方の側面から描いてゆく作風は、新しい「大人の演劇」を感じさせる。日常会話を主としながら、詩的な言葉を集団で表現することも得意とし、わかりやすさと同時に、観客の想像力を無限に引き出す奥深さも持っている。(公式サイトより)

ベビー・ピー

作家・演出家・俳優の根本コースケを中心とした演劇ユニット。 2002年、当時根本が所属していたニットキャップシアターの劇団内ユニットとして結成。 翌々年に独立。以降、公演ごとに役者・スタッフを集めるスタイルで、京都を拠点に活動している。(公式サイトより)

役者をやめたとは思ってないんです

__ 
なるほど。そういう風に、対象を見る時に分別がつくようになったということは、つまりしっかりした立脚点を持つようになったという事だと思うんですが、それはどのような経緯でご自身に備わったと思われますか?
安田 
僕は凄く、出会った人に影響されるタイプなんですよ。例えば烏丸ストロークロックの柳沼さんや、ごまもそうだし、大木さんもそうやな。まあそれだけじゃなく出会ったすべての人の、共感したり響いた発言とか考え方とか、あとは、読んだ本もそうだし。そんな感じに学んだ事が、僕の中に教養としてまとまったんじゃないかな。
__ 
人生経験と、考える力ですね。
安田 
うん。それと演劇を離れて、役者について考えるようになった。もちろん肉体的な面では衰えていくんだけど、感性の面ではずっと磨き続けられる。僕は演劇をやめたけれども、役者をやめたとは思ってないんです。どんな形であれ舞台には立てると思うし。
__ 
素晴らしい。
安田 
去年の東日本大震災の時、元そとばこまちの福山俊朗さんが呼びかけて開催したチャリティーイベントで、真野絵里さんと一緒に二人芝居をしたんですよ。その時も楽しかったし。
__ 
あれは見たかった。
安田 
それにね、色んな人が言ってくれるんですよ、辞めるのはもったいないって。あるスタッフさんが、芝居をやめると伝えた時に、「劇団をやめても、演劇と関わるのは辞めない方がいいよ」って仰ってくれて。
__ 
なるほど。
安田 
僕は、最初演劇を辞めたら仕事だけに専念しようと思っていたんです。知り合いや友達の縁を全部切って。でも、公演に関わっていなくても、例えば、赤星マサノリさんみたいな第一線で活躍されているような方と、ひょっとした縁で友達として親しくなったりしたりね。だから、そんな事を考えていた自分が愚かやったなと。
__ 
安心しました。安田君が芝居を辞めたのは個人的に相当ショックな出来事だったんです。
安田 
何で?
__ 
これは別に褒めている訳ではないんですけど、天才っているじゃないですか。勝手に定義しているんですが、どんな演技でも観客の想像より早くかつ強烈なイメージを生み出せる人を天才と呼んでいます。そのうちの一人が辞めたというのは、凄く残念だったんだけど。
安田 
凄く光栄です。あ、あと演劇にこれからも関わりたいといったのは、まだまだ一緒にやりたい人が多すぎるから。柳沼さんとか、赤星さんとか、坂口さんとか、大木さんも、あとは、宮川サキさんとかスクエアの北村さん、末満さん、石原正一さんとかウォーリーさんとか、出来ればごまとも一緒に何かしたいし、その他にも言い出したらきりない位に、やりたいし、やろうって言ってくれてる人がおるから。本当に出来るかどうかはわからんけど「やりたい」って思う気持ちは自由やん。もちろん演劇から離れてるし、優先順位が変わったから、どうなるかはホンマにわからんけどね。でもやりたいと思う気持ちは失くしてはいけないなと。それに、一番大きいのは演劇が嫌になって辞めたわけじゃないからね。やっぱりお芝居は大好きやから。

自己表現なんだ

__ 
演劇をやっていて、良かった事はなんですか?
安田 
まず、色んな人とお仕事をさせてもらった事です。それから、演劇って自分で立つものだからどこ行っても指示待ちにはならないんですよね。仕込みで動ける人はどこでも通用すると思う。僕はいま専門学校に通っているんだけど、やっぱり「学校」という場所は、授業においては教師対生徒という構図になってしまって、個が埋没するんですよね。
__ 
学校は、どうしてもね。
安田 
演劇を経験すると、自分の意見が明確になって、考えを表現する事が出来るんですよ。もちろん、言った事に対して、他人がどう思うかは考えないといけないけど。だから演劇って、人間として大きく豊かになるのに、僕にとっては必要なものだったと思う。
__ 
一つの公演を通して、一つの成果を創り上げて、かつ本番という決定的な時間がある訳じゃないですか。俳優だって、台本を渡されて、おおまかな感情を決めて、そういう演技をすればいいという勘違いがあると思うんですけどそうじゃない。その人の演技はそんな頼りないものから生まれるものじゃなくて。おそらくは、自分のパフォーマンスになるように、ゼロから作っていくものかもしれない。
安田 
うん、演劇を始めてからすぐにはそんな事は考えられなかった。演技プランなんて全然分からなかった。いつぐらいからか、演劇というものが自己表現なんだという事に気づいて。そうなったら自分でモノを考えるようになって、ちょっとずつ考えられるようになっていった。

質問 平松 隆之さんから 安田 一平さんへ

__ 
前回インタビューさせて頂きました、劇団うりんこの平松さんから安田さんへ質問を頂いて来ております。「1.今、何をやっているんですか?」
安田 
ええと、専門学生です。国家資格を取得するため、今勉強中です。
__ 
ありがとうございます。「2.仮に、これまで演劇に費やした時間を示されて、その分の時間を遡れるとしたらどうしますか?」
安田 
漫才をやってるかな。僕は当初、ベイブルースという漫才コンビが大好きで。願書まで取り寄せたんだけど、なぜかその時に姓名判断に行って、で「あんたはコンビ運がない」って言われて、ほんで色々あって演劇始めたので。もしそこで「がんばりや」みたいなこと言われてたら、たぶん漫才やってたでしょうね。
__ 
今後、どんな感じで攻めていかれますか?
安田 
そうですね。一番の目標は国家試験で資格を取ることだし、舞台復帰はやらないといけないからね。待っていてくれる人もいるし。
__ 
ここにいます。
安田 
あはは。その人のためにも、舞台にもう一度立つと思います。

ラグ

__ 
今日はお話を伺えたお礼に。プレゼントがございます。前回は何でしたっけ・・・。
安田 
胡椒と塩の入れ物です。
__ 
あ、そうだったっけ。どうぞ。
安田 
ありがとうございます。(開ける)えー! これは。
__ 
小さめのラグです。台所などに置いて、足マットとして使えます。
安田 
ありがとう! 使わせてもらいます。
(インタビュー終了)