バカ正直な人間
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- 嵯峨さんのプロレスを、西部講堂で拝見した事があります。ブレーンバスター三連発がとても美しかったです。嵯峨さんが空手をされているうえ、演じられていたリッキー・クレイジーという役も空手出身というキャラクターだったからかもしれないですけど、型の美しさというものがあるプロレスだったんじゃないかと思うんですよ。
- 嵯峨
- よくご存知で(笑う)そうですね、型は大事にしています。バカ正直な人間なので、自分がやってきた事をしか反映させられないんです。ストロングな、意地を張る、アスリートのキャラクター。僕も笑いを取れるような怪奇キャラやりたかったんですけどね。
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- 笑いが主体の内閣プロレスで、正統派のシモンさんの試合がとても見応えがあって好きです。格闘をやっている人はやっぱり違うなと思います。嵯峨さんは空手の有段者なんですよね。
- 嵯峨
- 初段です。子供の頃から高校二年までやっていました。大学受験までやってたんです。実は高校演劇をやっていたので、大学に入ってからはずっと演劇部でした。いまお世話になっている道場に入ったのは2年前なんです。だから、ついこないだ再開したばかりなんですよ。
笑の内閣
笑の内閣の特徴としてプロレス芝居というものをしています。プロレス芝居とは、その名の通り、芝居中にプロレスを挟んだ芝居です。「芝居っぽいプロレス」をするプロレス団体はあっても、プロレスをする劇団は無い点に着目し、ぜひ京都演劇界内でのプロレス芝居というジャンルを確立したパイオニアになりたいと、06年8月に西部講堂で行われた第4次笑の内閣「白いマットのジャングルに、今日も嵐が吹き荒れる(仮)」を上演しました。会場に実際にリングを組んで、大阪学院大学プロレス研究会さんに指導をしていただいたプロレスを披露し、観客からレスラーに声援拍手が沸き起こり大反響を呼びました。(公式サイトより)
「こんなにも習った事が出来ないものなのか」
- 嵯峨
- 再開したのは2011年ごろですね。久しぶりの空手でしたが、すごく面白く思えて。
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- 面白く感じた?
- 嵯峨
- 専門的な話ですが、子供の頃は松濤館流、今は剛柔流をやっています。その二つは伝統的な空手の流派でして、松濤館流は本土で競技試合の発展とともに流派としての深みを培ってきた流派で、剛柔流は沖縄っぽさがすごく残っている流派で、相手との間に取る間合いが近いんですよ。つまり、技が近い。以前映像で見て、いつかやってみたいと思ってたんです。
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- 私は空手とはあまりにも縁がなく生きてきたので、その面白さは想像するしかないんですが。
- 嵯峨
- 流派の違いというのは系譜の違いと、想定している間合いの違いがあるんです。間合いが違うと、技も当然違うんです。松濤館流は間合いを置き、離れた相手に技を入れる。剛柔流は接近戦で、猫足立ちといって接近していくんです。面白いのは、捕み合いになった時。「こんなにも習った事が出来ないものなのか」というぐらい簡単に技が潰されたりするんです。知らない技もいっぱいあるし。
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- 相手とのやり取りがあり、自分のプランがある。それらに自分の身体を使うというのが絶対面白いんでしょうね。
- 嵯峨
- それはありますね。ただ、プロレスやってるから意外だと思われるんですが、僕は組手嫌いなんですよ(笑う)。それよりは型の方が好きですね。今の道場も型を重視してくれるので。松濤館流と剛柔流は型が一切被ってないので、ひと通り覚えるには苦労しました。基礎的な型を教えてもらう時、「やった事あるやろ」と言われたんですが、やった事ないです(笑う)。必死に覚えました。
理
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- この事だけは伺いたいのですが、演技は訓練していれば誰でも習得出来るんだと思うんです。
- 嵯峨
- ええ。そうですね。
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- 恐らくはダンスの振付も、空手の型も、誰でも訓練すれば出来るはずです。
- 嵯峨
- はい。
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- でも、100日間訓練しただけの人と、同じように訓練したダンサーや空手家では、同じ動きをしていても絶対に違うと思うんです。それは、理を分かっているかどうかではないか。空手の型にも道理はありますか。
- 嵯峨
- もちろんあります。道理があるから残るんですよ。理があるから系譜されていくんです。中途半端なものを作っても、誰もついていけなくて廃れる、そう僕の師匠が言ってまして。
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- ダンスでも芝居でも、理の伴わない芝居が、そりゃ全てとは言えないですけど、見応えのあるものとは成り得ないだろうなと思うんです。
- 嵯峨
- そうですね。僕もそう思います。
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- もちろん、そうしたパフォーマンスを本番で発揮出来なければ何の意味もない。
武
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- 格闘の本番と舞台の本番。共通する事を感じた経験はありますか。
- 嵯峨
- 本番の舞台では誰も助けてくれない。それを強く意識します。演劇的な見せ方への意識って、武道の演武で生きるんですよ。見栄を張るやり方ですとか目線であるとか、発声であるとか。同時に、武道で培ったものが舞台で生きる事は多いですね。ピンと背筋を張った立ち方であるとか、立ち幅とか、相手との間合いの違和感を感じるかどうか。
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- 違和感?
- 嵯峨
- 手の届く距離に相手がいること。それを本番でも意識する事で、緊張感をもって演技することが出来ます。そして、目線の使い方です。「のるてちゃん」を東京でやった時、ゲストに来ていただいた藤本由香里先生に「あなた本物っぽい!」って言われて。警察官僚ってそういう風に立っているのよ、って。研究したから、というのもありますが。武道をやっているかどうかは結構伝わるみたいです。
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- 武道をやっている人の立ち方、目線が生きるんですね。
- 嵯峨
- 背筋に力を入れた緊張しっぱなしの立ち方だと疲れてしまうし、リラックスし過ぎでも良くないんですよね。空手の有名な先生の話で、海外で強盗に出くわした時はさっと用意しておいた20ドル札を渡すんですって。そりゃ強盗を空手で制圧する事は簡単なんですけど、その後の面倒臭さを考えると、被害を避ける為の一番の方法はそうすることだそうです。海外だと特に。それも一つの武なんですよね。「武」とは、争いを避ける事ですから。技術を使って相手を制圧するのは意外と最後の最後なんですよ。
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- 備えているという事ですね。
- 嵯峨
- 絡まれた時も、落ち着かせて話を聞く事とかね。実のところ、絡まれて腕を掴まれても、ちょっと習った位では振りほどくための技なんて出ないんですよ。訓練して訓練して、指導員クラスの人でようやく出るくらいなんですよね。さらに、矛盾するようですけど、道場で教えられた護身術はみだりに使ってはいけないんです。中国拳法の世界でもそうですけど、手が出るのはラスト。今日で人生がちょっと変わってもしゃあないな、という覚悟が出来た時だけなんですね。空手はとても危ない事を学ぶんです。だからこそ、正しい心を持たないといけないんです。
噛み合う為に生きている
- 嵯峨
- 腕よりも、もっと鍛えた方がいいのは体幹ですね。そこを教えてくれるのはいい道場です。腕をどう使うかは大切なんですけど、相手がどんな時に来てもいいように胴を練るんです。幹が練れていたらバランスが崩れないので、枝葉に当たる腕も動いてくれるようになるんですね。
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- 体幹を練る。どのように訓練しているのでしょうか。
- 嵯峨
- まずは、正しく立つ事です。背筋をまっすぐ伸ばし、やんわり曲げていく。自分の体にどれだけ力が入っていったのか感じながら曲げていく、あるいは伸ばしていく。ブルース・リー先生もやっていた「アイソメトリックス」がそうですね。立っている人間には前後左右上下の6方向に重力が働いているんですが、動かないで自分はどこに方向に向かっていくのかを感じるトレーニングなんです。前に行きたい自分を抑え、キープする。後ろに行きたい自分を感じる。自覚するんです。
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- 自分の行きたい方向を感じる・・・?
- 嵯峨
- 下に向かう重力があって、自分は反作用で立っていますね。だから自分はここにいる。自分はどの方向に向かうのか?禅のようですね。
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- 精神と肉体と関節の総合が持つ方向付けの力を感じ、集中して問い続ける。
- 嵯峨
- そうですね、力と言えると思います。ただし、惰性ではありません。惰性だと重力に従って落ちていく筈で、それに逆らって立っている自分の方向付けを見定める事は、禅に近い修養と言えるでしょうね。
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- 我々はたまたま生まれてきて、闇雲に生きていますが、肉体と精神と関節というものを与えられていますね。その3つの総合をもってして、方向付けがいみじくも出来ています、と。
- 嵯峨
- そうですね。
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- それは惰性で動こうとしているのではなく、自ら存在として動こうとしている。
- 嵯峨
- もっと演劇の話に近づけると・・・「シモンさんみたいに動いてみたいです」と言われる事があって。僕なんか全然動けないんです。どんな風に自分は動けるのか、そのイメージを具体的に持たないといけないんですね。自分の腕の可動域はどこからどこまでか。肩は?足のバネは?それを考えて、ゆっくり動いてみたり・あるいは勢いをつけたり。考えて動かなければ失敗するパフォーマンスになるんですよね。ちゃんと、今いる立ち位置・スタンスのところから、相手への距離を考えて練っていく事をやるかやらないかが、上手い演技者かどうかの分かれ目。武道でも同じです。これは師範の言葉ですが、武道を学ぶ人こそ頭を使って勉強しないといけないんですね。理を理解し、相手と自分の事を考え、頭を使って勉強していないと、武道を正しく使えないし、上手くもならない。
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- それは、言葉だけではない自己分析と言えるかもしれませんね。自己の表現内容を吟味するという意味で、演技者としての大切な作業ですね。
- 嵯峨
- もちろん、プレイヤーと演技の間には演出の要請がありますからね。さらに、独りよがりの演技に陥ると「何で相手役を置いて一人だけでいってんねん」という事になってしまいますし。舞台は、噛み合った完成形を見せる芸術作品ですから。ところで武道でも、噛み合うという事を学ぶんです。
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- というと。
- 嵯峨
- 武道の「道」とは仲良くする事を意味するんですよ。それが最終目的なんですね。道でないと広がっていかないんです。格闘術は戦場で生き残れればキレイでなくてもそれでいいんですよ、本当に。「道」と名前の付いている武道は自他共栄する事です。演劇って、役者が共演者と一緒に上に上がっていくからより良いものになっていくんですよ。
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- それはきっと、傑作と呼べるものだと思います。
- 嵯峨
- そうですよね。統合・統一・統和されないと、演劇としては完成されないと考えています。そうでないと面白くないんです。
なんだこいつみたいな
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- いつか、どんな演技がしたいですか?
- 嵯峨
- 気持ち悪い役柄をやってみたいですね。去年出させてもらった京都ロマンポップさんの『ミミズ50匹』 でそういう役をやらせてもらって。とても楽しかったんですよ。なんだこいつ、みたいなのをやってみたいですね。
京都ロマンポップ さかあがりハリケーン公演「ミミズ50匹」
公演時期:2012年3月1〜3日。会場:アートコンプレックス1928。
質問 大熊 隆太郎さんから 嵯峨 シモンさんへ
アイソメトリックス
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- 今後、どんな感じで攻めていかれますか?道を学んでいる方にこの質問は矛盾しているかもしれませんが。
- 嵯峨
- 自分である事かな。
AFTER DEATH SAUCE
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- 今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。どうぞ。
- 嵯峨
- 見させて頂いても。
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- もちろんです。
- 嵯峨
- (開ける)えっ・・・
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- それはブレア社の「AFTER DEATH SAUCE」という、めちゃくちゃ辛いソースです。
- 嵯峨
- 僕、辛いもの好きなんですよ。味覚が極端で、激甘と激辛なんですよ。ブラックコーヒー飲めないし、でも激辛好きで。楽しみです。僕も、お返しにこれを持って来ました。
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- ありがとうございます!これは・・・?あ、リッキーのTシャツ?
- 嵯峨
- はい。11枚作りました。その内の一枚です。
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- 嬉しいです!ありがとうございます。寝間着にします。