演劇人にインタビュー 頭を下げれば大丈夫

ウォーリー 木下

脚本家。演出家

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同じカンパニー
赤星 マサノリ(sunday)
平林 之英(sunday)
宮川 サキ(sunday)
同じ職種
山本 握微(劇団乾杯)
藤原 康弘(やみいち行動)
野木 萌葱(パラドックス定数)
中屋敷 法仁(柿喰う客)
向坂 達矢(京都ロマンポップ)
杉本 奈月(N₂)
サリngROCK(突劇金魚)
坂本アンディ(がっかりアバター)
司辻 有香(辻企画)
山口 茜(トリコ・A)
山崎 彬(悪い芝居)
田中 次郎(枠縁)
穴迫 信一(ブルーエゴナク)
蓮行(劇団衛星)
藤本 隆志(てんこもり堂)
鳴海 康平(第七劇場代表)
山口 吉右衛門(劇団飛び道具)
本間 広大(ドキドキぼーいず)
藤井 颯太郎(幻灯劇場)
大原 渉平(劇団しようよ)
益山 貴司(子供鉅人)
村井 春也。(何色何番)
FOペレイラ宏一朗(プロトテアトル)
中野 守(中野劇団)
戒田 竜治(満月動物園)
中谷 和代(ソノノチ)
ナツメクニオ(劇団ショウダウン)

分岐した

__ 
今日はどうぞ、宜しくお願い致します。10月!そろそろ秋ですね。
木下 
そうですね、なんか、秋っぽさというもの無いですよね。昔はもっと秋が充実していた気がするけど、最近は短いような。これは良くない傾向やわ。
__ 
そうかもしれませんね。今は、ウォーリーさんはどんな感じでしょうか。
木下 
最近は次回公演「グルリル」 の稽古と執筆が始まっていまして、それが頭の八割を占めています。後は、神戸の三宮のフラワーロードでパフォーマンスイベントがありました。ハプニング系のパフォーマンスが10箇所以上で同時に起こるイベントで。
__ 
見に行きたかったです。ご多忙のようですが、例えばどのような時にしんどさを感じますか?
木下 
一番しんどいのは本を書く時ですね。イベント演出の時はたくさんの人と顔を合わせて打ち合わせするんですが、実はそれはあまりしんどくないですね。でもそれは、30代の頃に変わったんです。
__ 
というと。
木下 
それまでは一人で家で本を書くのが楽しくてしゃあなかったんですけど、今は、他人と打ち合わせする方が楽しいですね。でも基本は、しんどいという事自体あまり思わないです。失礼な言い方かもしれないけど、周りがどんどん動いてくれるような仕組みを作る仕事なので。だから、ウォーリーの現場はしんどいとよく言われるんです。たぶん、自分がいかに動かないで済むようにするか、という。うん、僕は・・・仕組みを作るのが好きなのかもしれない。
sunday

大阪を拠点に活動する劇団。第二期・劇団☆世界一団。作・演出はウォーリー木下氏。

THE ORIGINAL TEMPO

2002 年に演出家ウォーリー木下を中心として設立されたThe original tempo(TOT)は、海外での作品発表を目標とし、台詞を一切使わないパフォーマンスグループとして活動しています。TOT では、国内で評判のよい作品を海外で発表するのではなく、はじめから海外で発表することを目的として、ポータビリティや言葉の問題などを意識し、作品に反映させていくことを活動の主題としています。(公式サイトより)

グルリル

公演時期:2012/11/9〜11(大阪)、2013/1/11〜12(東京)。会場:ABCホール(大阪)、パルテノン多摩 小ホール(東京)。

「見て見て!」と耳打ち

__ 
仕組みを作るのが好きとは。
木下 
僕は小さい頃から、自分が前に出て何かをするタイプではなくて。誰かに「こういう事したらみんなびっくりするで」って耳打ちしたりとか、誰かにやってもらうのが凄く好きなんですよ。自分がやると上手くいかない。格好悪いし、バレバレだし・・・。サプライズ誕生日とか、あるじゃないですか。
__ 
ありますね。
木下 
演劇の現場だと、演出家が怒りだして事前の打ち合わせ通り誰かと喧嘩し始めて、いきなり電気が消されてロウソクの点いたケーキが出てくるとか、僕がやるとバレるんですよね。実行犯じゃなくて、やり方を考えるのが楽しいというのが子供時代からあります。
__ 
それがウォーリーさんの初期衝動だった?
木下 
僕の初期衝動。そうですね、そうだと思います。自分で上手くこなせるのなら自分でそうしていたと思うんですけど、不器用だし顔にも出るし。世の中それが上手い人がいるんですよ。そういう人をちっちゃい頃から嗅ぎ分ける力もあって、人を集めてきた部分はありますね。
__ 
なるほど。
木下 
喋っていると、色々思い出しますね。子供の頃、テレビで面白いのがやってると台所で料理している母に「おかあさん、これおもしろいよー」って言うんですよ。でも手が放せないから「うるさい」って言われるんです。それが、すっごい腹立つんですよ。なんでこんな面白いのを見に来ないんだ、と。
__ 
それは凄く分かります。
木下 
でも、その時の体験が今思うと大事だったんだなと思いますね。20代の頃の彼女もそんなだった。世の中の人は、僕が面白いと思うものをそれほど興味ないんだなって事が分かりました(笑う)。だから、自分が何かを作るときも、基本的にはそれほど興味を持たれないと思った方がいいと。やっぱり、「見て見て!」だけじゃ駄目なんです。

濾過と雫

__ 
そう、「見て見て!」だけでは確かに足りないんですよね。では、どのような姿勢がアピールする際に必要なのでしょうか。
木下 
例えば演劇のチラシ。僕がお世話になった西田シャトナーさん にも、チラシに「面白い」という言葉を使ってはいけない。それを決めるのは観客なんだから、って教わった事があって。宣伝方法はとにかくたくさん考えないと見に来てくれないんですね。もしかしたら、「面白くない」と書いた方が見に来てくれるかもしれないぐらいです。
__ 
分かります。観客の体験を決めつけてしまうというか。「なんたら冒険活劇」とか「歌と音楽とダンスのコラボレーション」なんて書いてあった時点で見に行く気がなくなりますね。
木下 
(笑う)チラシの段階でどれだけパフォーマンス出来ているかという話だと思うんですね。チラシを作る時に考えて、たくさんのアイデアをボツにして、そうしてやっと出来たアイデアこそが「面白そう!」と思わせるんですよ。逆に言うと、そのトライアンドエラーの堆積は、その密度が高ければ高いほど、見えるんですよ。チラシがつまんないと、まあ本番でもそんなに面白くはないだろうなという気がする。
__ 
チラシでパフォーマンス出来ているぐらいのチラシ。そうですね、具体的にどういうプロセスを経てきたかは全く分かりませんが、どれだけの研鑽があったかはおおよそ伝わりますね。
木下 
分かりますよね。
__ 
見た瞬間に分かると思います、というか、見た瞬間にしか分からないかもしれない。
木下 
それで言うと、オリンピックの4年に一回というシステムって良く出来てると思うんですよね。
__ 
そうかもしれませんね。4年間の濾過装置を濾して出てきた、その結晶というか雫が、「位置について」の時に。
木下 
一瞬、見えるんですよね。
__ 
その姿が一番美しくて、きっと演劇も同じで、舞台に出てきた瞬間の俳優の姿が「位置について」してるか・捧げてるか、最初の姿で誰の目にも分かるんですよ。そうでないと、良くない。
木下 
捧げてない。今の話を聞いて思ったのは、文脈の話に切り替わりますけど・・・演劇って、いつの間にか文脈を尊重し始めていると思っていて。これは僕の解釈だから、現実とは違うんだけど。
西田シャトナー氏。

劇作家、演出家。

知らなくても面白い

木下 
80年代から90年代にかけての小劇場ブームは、もちろんそれまでの文脈があって生まれているんだけど。その中は、割とむちゃくちゃだったと思うんですよ。ロックの全盛期ぐらいには。
__ 
ええ。
木下 
でも今は演劇を見に行くとき、ある程度文脈を分かっていないと楽しめないという傾向があると思うんです。それは善し悪しだと思うんですけどね。さっきのオリンピックの話だと、あのマラソン選手は以前故障していたとかフィギュアスケートの選手同士のライバル関係とか。それを知らなくてももちろん楽しめるんだけど、知っているともっと楽しめるというのが文脈の価値で、それが演劇の世界で尊重されていると思うんですよね。
__ 
そうですね。
木下 
だけど僕は、「こんな路上なんかで、こういう演劇をやっていて、良く分からないけど面白いな」と思えるものが、必要なんじゃないかなと勝手に思っています。
__ 
姿、という事ですね。
木下 
文脈を作り変えていくような特殊な人たちというのがいて、でも僕はそこにいなくて。今の時代で言うと平田オリザさん やチェルフィッチュで、そこから延びてきた文脈込みで面白いなあって言って見る芝居があるわけですが、そこに至る文脈に無頓着で把握していない人にも、一滴の雫として面白く見せられるか。そこは役者だと思うんですね。その場にいる人たちなので、文脈に関わらず、見せられる。そういう事なのかなとは思います。
平田オリザ氏

劇作家。演出家。

あの時代(1)

__ 
ウォーリーさんがお芝居を始めたのは、どのようなきっかけが。
木下 
大学一回生の頃に新入生歓迎公演を見たのが最初です。チラシを配ってた女の子のセンパイが可愛かったからで、「入学早々これかよ大学ってすげえな」って。興味が無かったのに観たらそれこそ凄く面白くて。その時既に、本を書きたいなと思っていたんですね。
__ 
それほど、衝撃的だったんですね。
木下 
始まって暗転して、蓄光テープのかけらがキラキラ一面に光っているのを見たとき、いきなり宇宙やとびっくりして。照明が点いたら役者がいて、「いつの間に〜!!」て。なんなん、このトリックはって、こんなんやる事になるんやと。その時期、バンドやるか映画やるかで迷ってたんですが、映画部の作品見たら面白くなくって「3年ここにいたら最終的にこの映画作るんや」と思ったらいやになって。バンドは友達がいなかったので諦めて。
__ 
みんなそう言いますよね。私もそうです。何で、大学入ってから最初に観た芝居ってあんなに面白いんでしょうね。そして、「今見たらきっと面白くないんだろうなあ」と言ってみる。でも、個人的にはもう一度見てもきっと。
木下 
うん。面白いんじゃないかなって思うよ。平林さんも同じ回見てたよね?
平林 
あんなにテンションが高いものを見る機会が、それまでに無かったからじゃないかな。
木下 
そうそう。これぐらいの距離感でわーっと台詞を言われて、もう怒られてるんじゃないかと。
平林 
あれはショックでしたね。
__ 
高校を出て間もない時期の体験。二度とは味わえないんでしょうね、きっと。
木下 
また、音楽がね。かっこいいんですよ。演劇部に入ってから、こんな凄い・・・イギリスってあるんやと。高校出るまで福井だったからね。それがストーンローゼスとか渡されて、そりゃカッコいいスゲエ!ってなるよね。
平林 之英さん

sunday。この日はパンフレット編集のためにご同席して頂きました。

あの時代(2)

__ 
学生劇団を経て、世界一団の旗揚げ。その経緯について伺っても良いでしょうか。
木下 
学生時代に二本、自分で作演出をやったんですね。一本目が「DORAEMON」っていうテント芝居で、冬のポートピアアイランドで上演しました。二本目の「冒険王」は灘区民ホールの柿落とし公演で、学生劇団なのにそういう話が来て。それが結果的には3時間の芝居になって、本番の1週間前に台本が2/3しか出来てなくて、しかも小道具もセットも滅茶苦茶多くてみんな徹夜して作業と稽古して。やっと台本を書き上げて明日から仕込みという時に僕が熱出ちゃって稽古に行けなかったんですよ。下宿先で39度の熱で一人でうんうん唸って、その時正直死ぬ感じがあったんですね。でも、「何かしないと死ねないな」と思ったんですね。その時演劇をやっていたので、演劇をやろうと決めたんです。熱にうなされながら。
__ 
はい。
木下 
翌日ホールに行って、最初に会った人に「劇団作んねん」と宣言しました。ちなみに芝居は・・・。灘区民ホールは公共施設なので退館時間が厳しいんですね。21時とか21時半とか。19時開演で3時間の芝居、途中で幕が閉まったんです。その時僕は演劇をやる決心がついていたので、ホールの人や勝手に幕を降ろした舞台監督さんとかにブチ切れしてました(笑う)。他の学生劇団からも人を呼んでいたので、なんなら出番の無かった人もいて、すごく、みんなショボンとしていました。後で知ったんですが怒ってるのは僕ひとりだった。あの時は凄かったな。元ピスタチオの宇田さんとかいましたね。平林さんはいたんだっけ?
平林 
僕は舞台監督でしたね。
__ 
えっ。
木下 
平林さんが幕を降ろしたの?じゃあ。
平林 
ま、何となく、周りがそういう雰囲気になって・・・。
木下 
(爆笑)そう、役者の方が、もうやめようという空気になっていたらしいんですよ。
平林 
本番の日まで、最後まで通してなかったんです。
木下 
やばいな、強制終了する演劇て。セットも危険だったし、宇田さんは10メートルの高さのキャットウォークでずっと待機して、縄ばしごで宙づりになるんですよ。外務省の役人だみたいな、つかこうへい芝居みたいな演技をして。でも降りれないから、一回上に登って、袖から出てくる。
__ 
野生的な時代でしたね。
木下 
けが人も続出したよね。あるシーンで、セットのパネルが奥に倒れたら、そこは海だ!「冒険に行くぞー!」っていう演出を付けていたんですが、手前に倒れちゃって。一番背の高かった女優の子の頭で止まって、ブチ切れされたな。
__ 
(笑う)そんな過去があったんですね。
木下 
いや、ひどいですね、世界一団の初期の頃なんて。生意気だったし、評判も悪かったし。その後に旗揚げ公演をしました。作演は声を掛けた友達でした。僕が声を掛けたのに、旗揚公演が終わってから聞いたんです。「どうする?僕はまだやりたいねんけど」「いや俺は世界中で橋を作りたいねん」(ん、何を言ってるのか?)その子は土木関係の学部で、「橋を作る会社に入る、俺はこの劇団をお前にやる」とか言って。僕が作ったんだけどなと思ったんですが。第二回からは、僕が作演出です。

あの時代(3)

木下 
今考えてもむちゃくちゃな時代でしたね。僕、中之島で遭難した事があったんですよ。台風の日にテント芝居を見に行ったら浸水が酷くて、役者の血と雨水が膝の高さまで来てたから観客全員「く」の字になって足を持ち上げてたら公演中止になって、その公演の舞台監督さんが「こっちだ!」ってラストシーンで使う予定だったであろうスクリーンを開けたら、そこは海だったんですよ。
__ 
ええっ。
木下 
中之島無くなってるんだよ。焦って、舞台美術のベニヤをバンってはがして「これに乗ってください!」って言われて、お客さんを5人ずつ乗せて・・・これ新聞沙汰やん、そうしたむちゃくちゃな演劇を見てきているから、そういうものなのかなという思いこみはあるのかな。
__ 
今はもう、そんな演劇をやってもすぐ事件になっちゃうんでしょうね。
木下 
怒られるぐらいの事をした方が、演劇の価値は上がるんじゃないかとかは思いますね。でも、今はネットがあるからなあ。ちょっと何かがあったらみんな書いちゃって、叩くやろうなあ。
__ 
正義感がありますからね。
木下 
何なんだろうね、ああいうのはね。もっと笑った方がいいと思いますね。

ターニングポイント

__ 
私はウォーリーさんの作品はいくつか拝見していると思うんですが、その中でも格別に印象に残っているのが、京阪電車とArtTheaterdbとの企画、「サーカストレイン」 です。
木下 
あれもめちゃくちゃでしたね。
__ 
ちなみに私は先頭車両に座っていました。そこで、白塗りの少年が妹と別れを告げるというシーンがあって、そのシーンでホームにたまたまいたおばあちゃんとの対比がやたら絵になっていたり。
木下 
そういう感想は嬉しいです。あれも京阪電車とはやり合いましたね。当然、全裸とか無茶はNGで、でも男肉duSoleil は上半身裸だし。外の人が事件だと思うような事はしてほしくないという規制はありましたね。上の人をどう説得するか、それを考えるのは好きです。それはOSPFをやって鍛えられたところがあります。あれも、何十団体も出ている中にはアウトなのもあるんですよ。一番最初の神戸でやったフェスティバルはゴキコンが出てたんです。当然、行政からお金の出ている仕事なので、例えば子供に見せられるかどうか、過激な作品を見てこれがアートなのかという話になってくる訳ですよ。でも、行政の線引きも曖昧なんですね。そこで僕は、その線引きを「くっ」て広げてあげて面白さを伝えるのが僕の仕事だと思っています。この人たちは普段こういう表現をしているけど、この下品さはひっくり返すとアートになっていて、具体的にこういう状況だと価値を持つんですよって。アーティストにも乳首に絆創膏を貼ってもらったりして、間に入って調整するんです。それは環境づくりにおいて大事だと思うんですよね。普段アートを見ない企業とか行政の人って、分かんないんですよ。それを丁寧に批評を含めて説明するというのは、自分の創作を守るためにも大事だと思いますね。扇町の時の、むちゃくちゃをしたいという気持ちが今も残っているのかもしれないですね。あの頃は熱さしかなくて言葉を持っていなかった。
__ 
それはきっと、大変なお仕事ですね。「くっ」と曲げた部分に面白いものが存在しうるよ、という事が分かってもらえたら嬉しいですよね。
木下 
そうなんですよ。多分、僕の作品作りはOSPF やオリジナルテンポを始めてから変わったんですよ。というのは、普段の生活の中にも面白い事はたくさんあるんですよ。街を歩いてたり、電車に乗っている時にでも。それを演劇とかパフォーマンスにする事で、世の中の視点が増えるんじゃないかと。そうした作品を自分の劇団だけでやるのではもったいない。例えばフェスティバルでも出来るし、パブリックスペースでも出来るし。だから、そう思っている自分がプロデューサーをしないといけないんだと思うようになりましたね。
__ 
世の中の視点を増やすとは。
木下 
普通に生きていたら当たり前の事をスルーするんですよね。それは、あんまり生きている事にはならないんじゃないか。歳取ってどんどんそうなっていく自分がいて、やばいぞと思ったんですね。きっと。とはいえ、満員電車に詰められて通勤する会社員達も、あの中で何とか楽しみを発見しようとしているんですね、これも歳取ったから分かったんですけど。そういうお手伝いをしたい。それが爆発的に出来たのが「サーカストレイン」だったんだと思います。
__ 
一回限りの公演でしたし、すごく貴重でしたよね。最後に車掌さんが「次は100年後にお会いしましょう」ってアナウンスして。凄く面白かったです。
木下 
あの作品は自分にとってもターニングポイントでした。あれ以降、パブリックスペースでのパフォーマンスが多くなったと思います。路上って未知ですよね。韓国でやったパフォーマンスは路上で寝起きするというものだったんですが、見てる人が携帯で写真を撮ったり、一緒に寝そべってくれたり。能動的な観客っているんですよ。そうか、僕はお客さんを能動的にしたいんだと思う。
__ 
お客さんを能動的にしたい。能動的な観客が、パブリックスペースには存在しうる。
木下 
しうりますね。Instagramでみんないい写真を撮る、いわゆるアーティストなんじゃないかと思う訳で。それが、演劇作品でも同じアプローチを取れるんじゃないか。そう思いますね。もちろん、お金を取って見せる芝居とは線引きも必要かもしれないですね。
アートエリアB1 鉄道芸術祭 vol.0「サーカストレイン」

公演時期:2010/11/14。運転区間:京阪電車「中之島駅」(14:07 発)→「三条」駅(15:35 着)[往路のみ]。走る電車の中でダンスパフォーマンスが楽しめるプログラム「ダンストレイン」。今回は大阪から京都を駆け抜けます。総合アートディレクターとしてウォーリー木下氏を迎え、ダンスだけでなく、音楽や演劇などジャンルにとらわれない表現を取り入れた、ストーリー性のある内容でお届けします。(公式サイトより)

男肉duSoleil

2005年、近畿大学にて碓井節子(うすいせつこ)に師事し、ダンスを学んでいた学生が集まり結成。J-POP、ヒップホップ、レゲエ、漫画、アニメ、ゲームなど、さまざまなポップカルチャーの知識を確信犯的に悪用するという方法論のもと、唯一無二のダンスパフォーマンスを繰り広げている。

OSPF(OSAKA SHORT PLAY FESTIVAL)

演劇祭。2005年〜07年に松下IMPホール(大阪・京橋)で4回(05年は春夏2回)開催。

質問 伊集院 聖羅さんから ウォーリー 木下さんへ

__ 
前回インタビューさせて頂いた方から質問を頂いてきております。笑の内閣という劇団が「非実在少女のるてちゃん」という芝居を大阪で公演したんですが、その主役の「のるてちゃん」役であり、千秋楽を最後に演劇を辞めて就職活動に専念する伊集院聖羅さんからです。
木下 
その人からの質問?なんかすげえ面白いな。辞めていく人からの質問。
__ 
「何で演劇を続けているんですか?」
木下 
あはははははは。そうですね、儲かるからですよ。それも楽して儲かるからです。バレるかな、この嘘は。

質問 北川 麗さんから ウォーリー 木下さんへ

__ 
中野成樹+フランケンズの女優であり、この間ロロの「LOVE02」で京都に来ていた北川麗さんから。海外での公演が多いという事で頂いた質問です。「海外にネットワークを広げた理由は何故でしょうか。」
木下 
単純な答えになっちゃいますけど、やっぱり色んな観客に見てほしいからですね。もう一つは、僕は旅行が好きなんですけど、趣味と仕事をカップリング出来たらなと思って。だから、旅行ライターでもいいんですよね。
__ 
たくさんのお客さんに会えていますか?
木下 
もう七カ国くらい行ってます。どこも観客は変わらないという事が、実感として分かったのは大きいです。面白い事は面白いし、つまらない事はつまらない。大阪でも同じ。それは安心感がありましたね。
__ 
なるほど。
木下 
それから、僕らの文脈と海外のお客さんの文脈は違うという事が分かったのは大きいです。海外に行く時僕らは日本人であること再度意識するけど、ナショナリティとグローバリズムは相反するものじゃなくて、いっしょくたにして作品を作る必要があって観客もそれを求めてるんです。
__ 
観客も出会いたい。
木下 
会場に来てくれるという事は、それを求めているんですね。グローバリズムを持っている事にほっとしてくれて、でも日本人であることの良さも分かってくれるし。辛口な事を言うなら、海外に行った途端それまで触った事もない刀でちゃんばらする事は、僕は違うと思っています。それは、見せ物として消化されているだけで、僕ら自身を捧げている訳じゃないんです。なるべく、そうじゃないものをやらないといけない。

インスピレーションズ

__ 
「サーカストレイン」をひきずっていて申し訳ないんですが、あの作品は言葉での説明がなく、でも絵本はあって、お客さんが自由に想像していくという余地のあるものだったと思います。最近、面白さとは、想像が広がった時の快感じゃないかと思うんです。
木下 
はい。そんなに違わないと思います。もちろん、いくつもの面白さの一つだとは思います。
__ 
種類の一つ。
木下 
特に演劇においては、演者の熱を含めて、勝手に想像が広がっていくものが好きなんですね。お客さんが寝る芝居も、あながち悪くないと思っていて。あれ、アルファ波が出てるんですよきっと。気持ちよくなっていい夢が見れるんなら、それも面白いに入れていてもいいんじゃないかなと思うんですよね。ただ、面白くない芝居は寝れないですよね。
__ 
ウォーリーさんが思う、ご自身が大切にしたい、自分にしか生み出せない面白さとは。
木下 
僕はなんだかんだ言って戯曲を書くところから始めたのでこう考えるのですが、物語が一つある事で自由になることは多いと思うんです。シンプルなギリシャ神話でも、日本書紀の伝説でも、物語の原型というかアーキタイプを使って作品を作れる事は、僕の能力だと思っています。それは何故重要かと言うと、夢と一緒で逆になんでもありになっていくというか。
__ 
原理的な、物語のアーキテクトという事なのかなと。これは個人的な妄想なんですが、2001年宇宙の旅で出てきた「モノリス」ってありますよね。あれは猿を人間にする装置だとかって説明されてましたけど、きっとあれは石版で、人間が根幹に持っている各種の大切な概念を図形にしてまとめたものだと思うんですよ。
木下 
はいはい。
__ 
その図形は社会とか男女とか、知以前の原理を抽象化したもので、それを目にした瞬間、猿は人間になっていくんじゃないか的な妄想で。だったら各地の神話が似通ってるのは当たり前だなと。で、ウォーリーさんの作品を見て、そういうものを見ているという直感があります。
木下 
想像の広がりが持つ快感=面白さ、という仮説に繋がっていくと思うんですが、ラスコーの壁画ぐらいの抽象性にこそ物語が宿るかもしれない。ラスコーの壁画で芝居を作る、というのが僕の夢です。

ワクワクする場所

__ 
ウォーリー木下さんは、今現在、ここ関西で何をしたいですか?
木下 
一つは、さっきも言いましたが能動的な観客が生まれるような作品を作り出したいです。もう一つは、海外のカンパニーがたくさん集まる場所にしたいなというのがあります。僕が行った先に面白いのがたくさんいたし、さっき話した、面白いテレビがやってたら「見て見て!」って騒ぐ衝動に通じますね。面白いのをみてほしいと思いますね。あとは・・・演劇だけじゃなくて、美術にしても音楽にしても映画にしてもメディアアートにしても、色んなメディアの主戦場になっていったらいいなあと思いますね。東京の主戦場のあり方はマーケティング寄りだと思っていて、ある種切った貼っただと思うんですよ。それがもうちょっと、何と言ったらいいのかな、木訥に作品についてだけをあーだこうだ言える場所になっていけたらいいなと思いますね。いま、カフェ公演が各地でされてますけど、あれはいいと思っています。
__ 
東京の話が出たので。今関西にいるのは、関西が好きだからですか?
木下 
いや、それは全然ないです。東京には劇団☆世界一団の時に何回か行って、それこそ攻めていたんですよ。賞とかももらって。でも、結局のところ、発想が勝ち負け基準になっていくのを感じて。それは後々ストレスになると思って。それよりは、自分がやりたいワクワク出来る事は何かを、色々と都合のいい場所でやる方が現実的なんじゃないかと。

sunday play #5「グルリル」

__ 
この公演「グルリル」について。偶然の一致が大きなキーワードなんですね。実は私もしています。ウォーリーさんもしているし、今日ここでも起こりましたね。
木下 
そうですね。起こるんですよね。物語の力ってすごいと思います。その偶然の一致について、ゲルハルト・リヒターの展覧会に着想を得たところがあるんです。すごく面白くて、初期の頃は写真の上に絵具を載せたりという技法があって(時代によって色んな描法を編み出している画家さんなんですけどね)、絵具の厚みが生まれるんです。失敗しても塗り重ねられる。そういうものって演劇では無いな。本番で演技が上からどんどん塗り重ねられる作品って作れないかなと思ったのがグルリルの最初です。
__ 
物語のテーマは。
木下 
めっちゃダサいですけど、言えば、歴史とは何かとか、人間を人間たらしめているものは何か、です。スロベニアに行った時に民族博物館にいったんです。これまでの歴史が展示されているんです。バルト三国だったり社会主義国だったりの歴史があって、ロシアとの歴史があって、民主化して、EUに加盟して、が、現代の紹介コーナーをゴール地点にしてずっと並んでいる。でも、今いるコーナーは全然ゴールじゃなくて、この先から本番なんですよ。もしかしたらもう一度社会主義になるかもしれない。僕は、人間は進化してよりベターな方向へ向かっていると思っちゃってたんですね。
__ 
進歩史観ですね。
木下 
途中の状態に常にあるのが歴史で、「今は途中やぞ」という状態をはっきり受け入れないと、次の時代を考えられないと思ったんです。
__ 
今は途中である事を受け入れる。
木下 
それが、演技を塗り重ねていくという演出と、どこかクロスしていると思っています。色んな時代の色んなシーンを、同時多発的にやってもらって、そこでいくつかのセリフが関連する時に生まれる面白さを発見する、という感じです。ただ、現時点ではまだどうなるかは分かりません。
__ 
まさに、いま仕組みを作っている最中という事ですね。手応えは。
木下 
それもまだ分かりません。お客さんが演出を見ようとすると物語が観れない、物語を見ようとすると演出が邪魔になるという状態なので、かなりコントロール出来るようなセリフや動きを作らないと完成しないので。中々ハードルは高いなと。そういう意味で手応えがあります。
__ 
面白さの為にある、実験的な、前衛的な演出。それが許される場所だと私は考えていますので、とても期待しています。では、いま、この時代のここ日本でそのテーマを扱う事には、どのような意味があるのでしょうか。
木下 
その意味では、あまり意識しないようにしています。この作品は上演時間中ずっと雪が降っていて、何十センチも積もるといいんですけど。それが原発事故とか、現代の色んな問題に結びつけて受け止める事はしやすいんですけどね。でも、それは僕の役目じゃないんじゃないかと。僕は正直、明確な問題意識は強くなくて(それはコンプレックスでもあるんです。そもそも仕事も嫌いだし南の島で生きているのが一番向いていると思うんです)。「いまこういう問題が起こっていて本当はこういう事だからこうしなければならないんだ」というのが無くて。でも、今このテーマを選んだのは色々な配剤があったんです。だからこそ、製作を進めていく上で偶然が繋がっていくという感触を感じています。今現在のここ日本でも、色々なお客さんに見ていただきたいですね。

未来コーナーに続く

__ 
軽やかさというものをウォーリーさんは確実に持っている。それはsundayやオリジナルテンポのような、驚くほど面白い仕組を世界に出現させている。その原点は。
木下 
ワクワクする事を考えるのが好きだったんですよ。面白いテレビを「見て見て」と呼ぶのが好きだったし。
木下 
でもいま考えたら、台所から来てくれなかったのが良かったかもしれませんね。そこで甘やかして付き合ってたら、僕がそのぐらいの範囲で満足していたかもしれない。
__ 
路上みたいな未知の空間にも気付けなかったかもしれませんしね。我々はまだまだ、想像が追いつかない未知を必要としているんだと思うんです。
木下 
その中で僕らは、独特なポジションを作って行かないといけないとは思うんです。誰もまだ作れていないけれども、作れるはずなんですよ。それは僕が想像するに、ある一人の天才によって実現するんじゃないか。僕らは、頑張ってその一人の天才を押し上げないと行けないんですよ。僕はそれを押し上げる役目だと思っています。天才が来る土壌を作りたいと考えています。
__ 
若い世代の為の土壌作り。それはきっと、民族博物館の未来のコーナーの為に、現在が通過点だと認識しないと出来ない作業ですね。
木下 
昔、元・売込隊ビームの横山くん とそういう事を話したんですよ。僕がフェスティバルのディレクターをしていたりして「儲かってるんちゃいますか?」「そんなわけあるかいな」「いや、ウォーリーさんがそんな事を言ったら駄目ですよ、下の人達は目標が欲しいんです。儲かってください」って。儲けたいですね。それを若い世代に分配したい。そういう事が出来るといいなあと思っています。
横山拓也

劇作家。演出家。俳優。

みんなの機内食

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼プレゼントがございます。
木下 
きたー。これや。例のやつ。めっちゃ嬉しい。何やろう。
__ 
どうぞ。
木下 
俺絶対これ気に入ると思う。(開ける)あははははは。すごい。何でこういうのが分かるんですか。機内食ね、自分でも下品だと思うんですけど大好きなんですよ。
__ 
本当ですか。
木下 
客観的に見たらバカバカしいと思うんですよ、ビーフオアチキンって聞かれて悩んでくだらないなあと思うんですけど、いざ食べようとなると何かすっげえ楽しいんですよね。この本、今まで食べた事があるやつあるかな。
__ 
大人が最後に出会う給食ですからね。選べないしパッケージされてるし。
木下 
あははははは。そうですね。旅してるなって思うんですよね。
__ 
海外旅行がより楽しくなるように。
(インタビュー終了)