碁盤の目から
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- 「空白/I face my void」大変面白かったです。いいタイトルですね。
- 川村
- ありがとうございます。"ボイド"という言葉は虚無だとかの意味らしいんですけどニュアンス的にはそれがしっくり来て。
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- "void"はプログラミングの用語としても使われており、何かを提供しても応答がない状態を指す意味もあると思います。
- 川村
- そうなんですね。
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- 実は私、餓鬼の断食を「スイッチ」から拝見していまして。衝撃的に面白かったです。口語による不完全なコミュニケーションがそのまま舞台で再現されていたのだと思いますが、最後までついていけるかどうか不安だったんですけど全然そんなことはなくて。作品を通じて、日常のコミュニケーションについて考えるところがありました。私たちはコミュニケーションを言葉を使って行っていますが、それが完全に相手に伝わったかどうかは分からないことがあります。そこを突きつけられた作品だったように思います。
- 川村
- 自分も作っている時にそれはすごく感じていて。人によって、使う言葉は変わりますよね。言葉を碁盤の目のように僕は考えていて、このマスに女子高生の言葉があって、横には小学生、離れたところに大人の言葉、敬語や謙譲語。隣り合っている人たちが会話を交わすとベン図のように重なっていて。もしかしたら、コミュニケーションというのは意外と身体性であったり力技で成立するのかもしれない。高校生の時からそういう考え方をし始めてるんですけど。ようやくこういう書き方をすればいいというのが分かってきています。
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- なるほど。つまり、人の属性を碁盤の目のように並べて、言葉を位置的相関関係の観点で捉えようとしているのですね。その盤上ではメッセージA0に対する返答はメッセージA1であるというように、送信に対する応答結果は予定されているといってもおかしくない。マクロで見るとその伝達網にはうねりがあり、傾向がある以上検討も干渉も可能だと言えるかもしれません。
- 川村
- そうですね。その考え方を人物同士のところにクローズアップしたとき、どのような思料を出せるかが考えるべきところかもしれません。予定調和ではあるけれども、どこかでギャップが生まれる。
餓鬼の断食
モラトリアムを拗らせたガキの溜まり場。 WINGCUP2021 最優秀賞 奈良学生演劇祭2022 審査員賞/観客賞 第8回全国学生演劇祭 審査員優秀賞 NEXT→11/11~19 関西演劇祭2023 餓鬼の断食vol.3『或る解釈。』
「空白 / I face my void.」
公演期間:2023/7/14~17。会場:THEATRE E9 KYOTO。
挑戦
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- 「空白」では、前半は口語会話が前面に出されていたと思いますが後半は文章としての台詞によって会話演技が構成されていたと思います。口語の世界からドラマに戻れるのか、のような実験性があったようにも思いますが。
- 川村
- そうですね。俳優の演技体は日常の口語に依るもので、結果的にリアルっぽい要素が出ていたと思います。劇場のサイズにも影響されますが、お客さんとのコミュニケーションも通る。しかし、後半部の方は演劇的な要素が必然的に必要になっていきました。
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- そうですね。
- 川村
- そこで初めて、書き言葉の文語体的な表現を取り入れました。今後、どういう方向性にするべきかというところですが今まさにそこに興味があります。カオスな演劇をギュっとしてもいいし、または後半のドラマで逆転が起きるぐらいクラシックな会話劇を作るのも面白いかもしれない。今後どうしていこうかというのは考えていますね。
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- 贅沢な悩みですね。それはどちらの道にも行ける実力を持ってると思います。
- 川村
- ありがとうございます。群像劇ばかり書いているのでクラシックな会話劇に帰着していくのかなと。次はどうして行こうかなというところは・・・好きな作家はMONOの土田英夫さん、永井愛さんも好きですし、岩松了さん鈴江俊郎さん、平田オリザさん、でも一方で一番好きなのはイヨネスコで、かっこいい表現に憧れるんですよね。今個人の限界が結構見えてきちゃってるので、自分の方向性をなじまけてくれるような誰かとマッチアップして、演出助手で入ったりして挑戦できていったらいいなと思います。
私小説
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- 「空白」のストーリーは、ある喫茶店のマスターが亡くなって数週間後の出来事を描いていますね。その時期に集まった人々が今後どうするかという問いに向き合う様子が描かれています。これは川村さんの体験を元にした作品と伺っていますが。
- 川村
- そうですね・・・僕の中でセンセーショナルだったのが、ガストで何人かでご飯食べてて頼んだピザの下に洗剤の粉が敷いてあったり友達から恋人と付き合い始めたとかの電話が掛かってきて、その直後にマスターが亡くなったと連絡が来て。場の雰囲気がジェットコースターみたいになったんですよ。マスターと会えなくなるとは思っていなかったんです。お葬式も行こうと思えば行けたんですけど行かない方がいいと思い、でも書くことにして。
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- なるほど。
- 川村
- 「空白」の中での登場人物であるスズカもきっと、お葬式には顔を出したけれども棺を開けたかどうかは定かではないんですよね。
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- ご自身の中であんまり整理がついていなかったんですかね。
- 川村
- そうですね。整理をつけるということにあんまり良さを見出せていないというところがあるんじゃないかな。僕の父親がお寺をやっているんですがで、小さい頃からそういう話はよくしていたというのもあって・・・でも知り合いが亡くなるということに実感を持ったのは初めてでした。その後書く許しを得たので、せっかくならあの人が悔しがるような作品にしようと。僕のそういう状況が各登場人物に少しずつ宿ってるんじゃないかなと思います。
ストイックな・・・
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- 俳優の方々は、そうした私小説的なスタンスにどのような向き合われ方をしたと思いますか?
- 川村
- 今回の座組は本当に良くて、稽古がとにかく良かったんです。最初の3回くらいはいつもワークショップをしながらある程度の人物相関図だったり、どういうシーンを実現したいかというのを共有するんです。その時に出た言葉の片鱗を使いながら、僕の思っているキャラクターと、その人が綺麗に見える人物像の間を探りながら書き続けるんですけど。台本作りが中盤を超えたあたりから、動きにしろ台詞にしろ、俳優の方から「いやそれは出来ない」という声が出て来たんです。
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- おお!
- 川村
- 「別にしたくないというわけではなくて、出来ないから」と。なぜなら理由はこうこうでと。例えばスズカだったらこの2人に対して面と向かって「あの人が大好きだった」というようなセリフを言うわけがないのになぜそのような動きをさせようとするのかと言われて。確かに!と。僕が書いたはずなのに、僕ではない人間がポコポコ生まれてきて。途中からはその人たちが見たいものと僕が見たいもの、両方を裏切るように心掛けて書いていました。結果、自分を揺らすような稽古になっていたと思います。作り方を選択する俳優が何人かいて、最終的にはキャラクターたちの関係が稽古中のみんなの関係に馴染んできたりしていて。初めは自分がなぜこの役をしているのかって戸惑っていた人たちも、作品の上での関係に近いようになっていて。取り組み方としてはだいぶストイックに作ってくれたんだろうなと思います。俳優に関しては客演に頼りきりなので。本当に冥利に尽きるなあと思います。
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- 結局演技を作ってるのは俳優ですからね。役の見せ方を考えるのは演出でも演技指導でもなく。何も考えない役者の演技は、大抵の場合お客さんには届かない。なぜならお客さんが認識出来るのは役者のアイデアだけだから。出力は単なるメディア。理解力に差はあっても観客が認識できるのは上澄みだけなんですよね。だからと言って細かい演技を見ていないかというとそういうことではなく、上澄みを提供するために細かい調整はし続けないといけないが、演技で伝えるべきものを役者が検討し尽すことがまず肝心ではないか、だし、どこまで検討しているかというのはもう直感的にわかるのではないか。
- 川村
- 分かります分かります。
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- 方向性が定まっていないと、演技は滲むだけなのでしょうね。で、人が亡くなってしまったという状況を、俳優の方々はよく理解されていたんでしょうね。
- 川村
- それは強く感じますね。最初の方に千文字ぐらいのテキストを与えるんですけど、例えば最初の方でにゃんこ大戦争をやりながら入ってきて脳が溶けるとか言ってて。色々な寄り道をしながら台本を作っていくと当たり前ですけど台詞が消えてくんですよね。毎日3000文字書いて削って。俳優は7万文字ぐらいは一回読んでるんですが、失われた3万文字は凄く効いていると思います。あとは俳優が勝手にじゃないですけど台詞を消していって。より、関係性が補完されていくというような感覚はあったと思います。急に15行くらい消えたり。
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- 俳優の方々はおっしゃった通りストイックな作業を続けていたのでしょうね。それは、親しみのある方を亡くして混乱していた川村さんにとっては心に響く光景だったのかも。
- 川村
- 混乱していたというよりかは、とりとめのないぽつねんとした球体が胸の中にできたような気がしていて。僕はもともと作家を軽蔑していて、ノートに使用書き留めるような人にどうしてそういうことをするのかずっと理解できなかったんですけど、3公演ぐらい経て自分の考えをまとめる時に脚本を書くのが1番手っ取り早い手段になってきたんです。E9の公演でも堀さんという新しく入ってくれた人間に支えてもらって出来た公演だったんです。堀さんが加入して、、初めて脚本を書くという行為に専念したとき、詩的にならざるを得なかった。アップダウンが原因というよりかは、僕がいま触れたものが、胸の中にあったこれだけだったという方が正しくて。まず書く前に遺族の方に連絡するべきだったんですが、結果的には公演終了後になって。報告してから一周忌にも呼んでいただけることになり。そういう意味では自分の気持ちを整理しきった脚本だったのかなと思います。
個人の年表
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- 中盤の方に非常に興味深いシーンがあったんです。セリフが間違って発されたのにも関わらず、受け手側の役が正しい解釈をしていたんですね。メッセージA0を持つはずのセリフS0が、誤ってセリフS1として出力されたのにも関わらず、メッセージA0として処理され、観客側としてもその受信処理が届き、笑いが起こっていました。これは俳優レイヤーでの発信側・受信側両方に起こったヒューマンエラーのように一見見えるけれども、餓鬼の断食の舞台ででしか起こりえないことなんじゃないかなと思うですね。それぐらい深いレベルで、役と会話が成立していたんじゃないかなと思うんですね。
- 川村
- それは「スイッチ」でも起こっていたことなのかなと思います。俳優の作業として、そのキャラクターの年表・・・というよりもささやかな、変化の流れというのをまとめているんですね。例えばなぜあなたはこの人物に対して気を許したのか。それは継続した関係の中で生まれたものなのか、それともあるイベントを契機に起こったものなのか。そのイベントとは何か。そのイベントを相手と共有して会話したのか。そういうささやかな営みを創造してまとめていくんですね。そうなってくると勝手にパーソナルが出来上がっていく。そういう手順で作っていってるんです。だから他の作家の方よりも、物語の軸を離れたところで話し合っているんですね。
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- 人間のパーソナルって、やはり内的な作業モデルに沿って生成された思考が形作っていくと思うんですね。そのモデルはもちろん生まれつきの性格というべきものが定礎にあるんですが、そこを俳優が年表にしていくと、とても実感のある人間性が作りやすいと。
- 川村
- そうですね。特に僕の作るお芝居だとモデルになる人間がそもそもいて。「空白」に出てきた人物達も、僕の周りに実際にいる、リアリティーラインが一般から少しずれている人たちをモデルにしているんです。それを俳優と共有したところ「理解しきれない」と言われるんですね。だからこそ様々な資料を使ってディテールを突き詰めていくことができたのかなと思います。
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- それはとても大変な作業のように思いますが、やはり楽な方法なんてどこにもないですからね。
- 川村
- 本当にその通りですよね。本番までにストイックに役を作ってくれました。
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- 台本をあてに削除するというところまで許されるのがとても餓鬼の断食性を感じますね。
- 川村
- 稽古の最初のあたりに「てにをはが馴染まなかったら変えてくださいね」とは言っています。役者と一緒に検討して。そういうやり取りをしっかり取った方が作品としての伸び率は高いのかなと思います。
傍に
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- 個人的にはスズカさんの役が気になりましたね。名前も髪型も似ている役者さんを知っていて。
- 川村
- 似てる!スズカはある種、僕に一番近い役柄なのかなと思います。好きだったオーナーさんに会えないまま亡くなられて、後半に強い言葉で自分の思いを伝えてくるんですけど。そういう強い言葉のオンパレードでも、僕の思うリアル(生き死にについてそこまで強く意見を交わさない日常)から外れないようにしたい、というのが僕の個人的な挑戦であり目論見でした。餓鬼の断食として初めて、最後のセリフに関しては一言一句変えないでくれとオファーを出したら、彼女の方もだったら逆に任せてくれと。そういう挑戦を上手く拾ってくれました。ただ、辛い役回りをさせたかなとは思います。僕の芝居は女性が辛い思いをするんんですよ。でも、僕の経験や思いと、ぬまたぬまこという俳優の持っている技術と、僕らが共通で積み上げてきた経験が色々と奇跡的にあってあそこに立っていたんじゃないかな、と思います。
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- 背景と様々な要素が合わさっての演技だったのですね。
- 川村
- 最初の読み合わせの段階からスズカは泣いていたんですよね。その瞬間から僕が書いたと思いないというか。そういう気持ちはずっとありますね。僕のテーマは主観と客観が入り乱れ、主観の中で身動きを取れなくなった人間が自省的に語りだす、その語りは露悪的なものなんだけど集団内においては善として成立する。そういう会話劇を作り出そうと思っています。そういう意味で言えばスズカは善いやつでしたね。
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- さきほどからの繰り返しにはなりますが、口語劇から自省的な語りに行くというのはとても驚きでした。何かの実験なのかなと思ったぐらいでした。落差と表現したものかは分からないですが、真面目に年表をやっていたから出来た事なんじゃないかなと思います。
- 川村
- 彼ら彼女らは、賢すぎてピエロをするしかない人間だというのを表現したいです。愚かに見せるしかないという賢さを持った豊かな人間たち。頭を高速回転することは出来るけれども、抜けているところは尋常じゃなく抜けている。だからピエロを演じるしかないんですけど、本人たちの本来の人間性に迫るとどうなるか。距離が縮まりつつ離れていく。それは書いてる時も演出してる時も意識はしていました。
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- 基盤によって予定された会話プログラムの中でピエロ出来るけれども、人間性の交感に発展すると、もう一度孤独に戻らざるを得なくなる。
- 川村
- 僕の周りに、希死念慮が強い子がいて。その子に「本当に3日後に死のうしてる人間にどんな言葉をかけるか」と聞かれたんです。僕の中で出た答えが「その死を一生脚本で擦り続けてやるから、三日間絶対に邪魔をしないから見させてくれ、隣にいる」否定せずに、そのまま傍にいようと思ったんです。近くで実感を持って眺める行為というのがもっとも救いに、掬いになるんじゃないかと思ってるんです。死のうとしている彼女や、空白に向き合う彼ら彼女らの必然は他者にはそう簡単に実感出来るものではないと思います。でも、傍の視点をお客さんに提出したいという思いは俳優に常に伝えていました。
手のひらから
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- 今後、どんな感じで生きていかれますか。
- 川村
- 様々に変化はしていきたいんですけど、自分の持っているものを変えすぎないようにしたいです。両手のひらからこぼれ落ちないように。自分の実感の中で進めていくことができればいいなと思っています。仕事や趣味や両親や友達との関係も一緒で、両手のひら以外のことを信じないように。良い意味でも悪い意味でも。
コーヒー
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- 今日はですねお話を伺いたお礼にプレゼントがあります。
- 川村
- 見たやつや!めちゃめちゃ嬉しいな。ありがとうございます。開けてもいいですか。
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- どうぞ。
- 川村
- コーヒー豆や!ありがとうございます。うれしい。