演劇人にインタビュー 頭を下げれば大丈夫

市川 タロ

脚本家。演出家

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__ 
今日はどうぞ、よろしくお願い致します。最近、市川さんはどんな感じでしょうか。
市川 
最近ようやく次の事を考え始めました。9月まで「野へ」 、そして「偽造/夏目漱石」 を終えて、しばらく何もしてませんでした。寝て起きてバイト行って、演劇は全くしていなくて。ここ最近になってようやく、次の為に動こうとしています。
__ 
寝る前と今で、なにか変わりましたか?
市川 
3ヶ月の空白で、開き直ったような気がしました。自分の創作態度に。僕の台本は演劇にするにはモチーフが凄く多いんですよ。
__ 
そう、戯曲というより小説形式の台本ですよね。
市川 
色々言われたんです。自分でもどうしようと思っていて。でも、それはそれでいいんじゃないかと思えるようになりました。僕はそういうものを書くんだろうと、そこを是認していこうという気持ちに切り替わりましたね。

「デ」は2011年旗揚げし、詩としての演劇、舞台詩の成立を模索してきました。物や、場所に語りかけていくこと、場所から何かを読み取っていくこと、をコンセプトにしながらの制作を試みています。主な作品に、『名づけえぬもの』(STスポット横浜)、6時間に及ぶインスタレーション作品『ルーペ/側面的』(Gallery near)、20編の会話を即興でコラージュする『コップの問題』(UrBANGUILD)など。(公式サイトより)

デ・5「野へ」

公演時期:2013/9/6〜8。会場:An.Studio(金沢市)。

『偽造/夏目漱石』 第20回BeSeTo演劇祭BeSeTo+参加作品

公演時期:2013/11/4〜10。会場:アトリエ春風舎。

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川北さんにインタビューした時、市川さんの台本は小説のようだと伺いまして。「名づけえぬもの」 でしたね。実際に読ませて頂いたんですが、とても面白かったです。何故、あのような書き方になるのでしょうか。
市川 
あまり、自分でその理由を突き詰めて考えた事はありませんでした。戯曲って、それを俳優が声を出す命令書きみたいになりがちなんじゃないかと。それはあまりしたくない。出来るだけ指令書にはしたくないんですね。台本である前に、それなりに読み応えのある読み物であるべきだと考えていて。
__ 
なるほど。
市川 
声に出されない部分を大切に作りたいなと。イメージを稽古場に提出出来る脚本にしたい。すると、セリフだけじゃ足りないんじゃないか。実は、出来るだけ上演出来ない台本になるように心がけているんです。
__ 
上演が難しいようにするんですね。
市川 
上演を遠ざけないと、脚本を書く態勢と演出する態勢が距離的に近くなってしまって。演出と、脚本が切り離して考えられなくなってしまうんじゃないか。と。
デ・4「名づけえぬもの」

公演時期:2013/3/12〜13。会場:STスポット横浜。

・・・

__ 
そうして書いた作品を演劇化する時、何が失われますか?また、何が得られますか?
市川 
根本的に、演劇の基本形式は報告劇だと思っています。誰かがどこかでそれをした、その再現。「舞台上で起こっている事は、舞台上で起こっている訳じゃないだろう」と思っています。
__ 
そうかもしれませんね。
市川 
俳優は中間項として観客と物語を仲介として存在しているんじゃないか。ならば、俳優は舞台に書くみたいな感覚で行ってほしいですね。
__ 
書きに行く。
市川 
「デ」は言葉に関心が強いんです。言葉以前のものが、どういう運動をして言葉になるのかをいつも考えています。言葉は記憶と強く結びついているんでしょうね、そこから物語にも繋がっていくんじゃないかと。

- - - - デは - - - -

市川 
僕は存在しないものに興味があって、不在のものに対して意識を向かわせて行きたいんです。存在しないものに言葉が結びついていく動き。役者が不在の何かを思い出す、その時に言葉が生まれる。
__ 
言葉以前のものが言葉になる瞬間を見せたい。
市川 
目の前のコップを取って「これはコップです」というのは凄く簡単。それはコップっていう物とコップっていう言葉が現実的な目の前で結びつきを持つからだと思います。でも、そうじゃないような、舞台上で発された、対象やあてのない言葉ってどこにも結びつかないし、何者もそれをとらえる事が出来ないので、言葉自体が物になる、そういう瞬間があるんじゃないかと思うんです。それは純粋な言葉と呼べるんじゃないか。だから、デはあまり物語を押し進めるみたいな言葉をあまり脚本に書かなくて、誰にも何にも関係ない与太話を喋っているという事が多いんですね。必要ではない、だからロジックに組み込まれない、観客の考えるパズル的な物語の読み解きとも関係ない言葉が、ようやく、物としての言葉として認識されるんじゃないかと思っているんです。

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言葉の具現化の為に、構造を持った会話は邪魔になりうる、むしろ、あまり意味の無い会話をする事で、言葉が見えるような瞬間に立ち会えるかもしれないのですね。
市川 
もっと言うと、言葉とかを消したいんだなと思う事があります。何て言ったらいいのか。沈黙を目指しているんです。それはただ単に静かになっているだけじゃなくて、帰っていくような沈黙っていうんですかね。
__ 
帰っていく・・・?
市川 
言葉自体が、存在しなくてもいいものだと思っています。言葉は何かを限定するんですよね。最初の沈黙に言葉を放つと限定されて限定されてが始まって・・・喋るという事を前提に人が舞台に出てくる。それが何か、変だなと思ってしまうんです。別に、喋らない事も出来たし、沈黙を選ぶ事にも価値はあるんじゃないか。喋ってても黙ってても良い条件の環境で、俳優が喋りだす。それは、語るという行為をより愛したからなんじゃなかろうか。喋らなくてもいいのに、自分の意思でそれを選んだ。その語りは、凄くいいなあと思うんです。
__ 
人間は喋りますからね。
市川 
でも、その前提には沈黙があって、じきに沈黙に帰っていく。石を投げられた湖の波紋が揺らいで消えて沈黙に戻る、それが何度も繰り返される、場としての沈黙が見えてくるような空間が作りたいんです。

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__ 
沈黙の空間に言葉が卸されて、また沈黙に帰って行く。ちょっと頭に思い浮かべていたら気持ちいいですね。安楽死みたいで。舞台上の光景が目に飛び込んできた時、その空間構造は我々の頭蓋骨と同調したもう一つの言語空間になる訳じゃないですか。役者は観客の物語を代弁するもう一人の自分たちで。彼らが黙る瞬間、脳が活動を止める、つまり死を仮想体験するという訳で、それはとても気持ちいい訳ですね。生と死を行き来しているのかもしれませんね。
市川 
役者を、凄く単純な物にしたいんじゃないかなあと。石とかと同じレベルの。「もうこの人は、喋る事は出来ないんだなあ」と思う瞬間。たまに思うんですけど、セリフを忘れた役者って美しいなあと。ウチの役者でよくセリフを忘れるやつがいるんですが、どうしたらいいのか分からない状況になりますよね。そして、その「セリフを忘れた」は舞台上どころか観客も分かるじゃないですか。
__ 
分かります。
市川 
凄く面白い瞬間だなあって。セリフを忘れさせるって難しいですけどね。あの時の面白さって何だろう。観客って、喋っている俳優を通して、本当は自分も語っているんだと思うんですよ。役者がセリフを忘れた瞬間、お客さんは「あ、他人だったんだ」と気づく瞬間なんじゃないか。一緒に頭が真っ白になる。あの空白は、カタパルト発射されたかのような無防備な瞬間になる。

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市川 
これは最近の問題じゃないですけど、「客が生きる」という事を考えています。上演時間が6時間の作品を以前作った事があります。それは、お客さんに何をしてもらっても良いんですね。
__ 
というと。
市川 
劇場にお客さんが来る訳じゃないですか。そこに携帯を切れとか喋るなとか、横暴じゃないですけど、何か死ねと言っているような気がする。だから、生きるという事を考えたいなと思ったんですよね。俳優に与えられる二択が、観客にもあるんじゃないかなという気がします。喋るか、黙るか。一番いいのは、客席でも何かが作られ、舞台が客によって作られていくという事態が生まれれば、自由さに行きつけるんじゃないかという気がします。

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__ 
演劇を始めた経緯を教えて下さい。
市川 
アルベール・カミュが好きで、カミュになりたかったんですね。どうすればいいかというと、カミュがしていた事をすればいいと。どうやらカミュは演劇をやっていたらしい、と。大学入学と同時に、演劇を始めました。西一風に入りました。その時は演出という役割があるとは知らなかったですね。佐々木君や築地さん、先輩に高田ひとしさんがいました。
__ 
いつか、どんな演劇を作りたいですか?
市川 
「ルーペ/側面的思考」 という6時間ぐらいの作品を、出町柳のカフェギャラリーで上演したんです。俳優6人でシフトを組んでやっていたんですが、ほとんどお客さんが来なくて。僕はそこでコーヒーを飲みながらずっといて、すごい時間だなと思っていました。
__ 
素晴らしい。
市川 
地下でやっていたんですが、もう皆が普通の生活を送っている地上と全く無関係の、何か異様な時間が流れていたんです。あれはあれで、一つのやりたかった事だろうと思っています。何からも隔絶しているけれど何故かあるもの。それを、ちゃんと客が来る状態でやりたいですね。
__ 
隔絶したものをお客さんに見せて、どう感じてもらいたいですか?
市川 
何もしなくて良かったんだ、かな?いや、何かしなくちゃ行けない必要な事、それは何もなくて偶然ここにいるだけなんだなと。ただそれだけの事だと考えてもらいたいのかなあ。でも、あまり、どう感じてもらいたいとかはあまり無いですね。同調も求めないし啓蒙もしないし。でも、空間として美しいものを欲望されたら、いいなあと。
デ・3「ルーペ/側面的思考法の発見」

公演時期:2012/6/8〜13。会場:Gallery near。

質問 阪本 見花さんから 市川 タロさんへ

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前回インタビューさせて頂いた、浮遊許可証の阪本見花さんから質問を頂いてきております。
__ 
「過去・未来問わず、何歳の自分と会って話してみたいですか?」
市川 
18歳、大学入学時代ですね。演劇はやんない方がいいんじゃないかと。入学当初は在学中に小説の賞を取ろうという気でいたんですが、賞の時期がすべて公演と被っていて、7年間もチャンスを逃してしまったので。忠告しにいきたいですね。ほどほどにした方がいいと。

○○○○

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市川さんにとって魅力のある俳優は。
市川 
良く見える俳優はいいんじゃないかなと思いますね。人間って基本的には消えているものだと思っていて。でも、たまに変な人がいて。今想像してるのは前田愛美さんなんですけど。こんなに、存在感が異様に立っている人がいるんだと。それは凄いなって思いますね。怖い。

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生まれて初めて「面白い」と思った経験を覚えていますか?
市川 
小学校1年の頃、交通事故に遭ったんですよ。面白い話かはわかんないですけど、近所の友達と蛇苺を摘みにいって、何個集めたか数えようとしたら道路に出てしまって、パッと見たら赤い車が走ってきて、弾き飛ばされたんです。手の中で蛇苺が潰れてしまって、地面に倒れながらそれが何個だったのかずっと気にしているんですよ。今でも引っかかっていて。運転手が出てきて「大丈夫か」と言ってきて、小学生が轢かれて真っ赤になっているのにそんな事が言える運転手が今思えば凄いなあとも思うけど。
__ 
その疑問が今でも引っかかっているんですね。それはきっと、蛇苺が潰れた事と強く関係していて。分析する訳じゃないですけど、潰れた苺に、ひかれてしまった自分を投影していて、「何個だったか」という質問を反芻する思考は手の中でぐちゃぐちゃになった蛇苺の光景をなぞっていて、それは生きている自分の生を裏側から確かめる行為なのかもしれませんね。
市川 
数えるのは苦手なんですけど、なぜか気になるんですよね。そういえば大学4回生の頃の作品で、沈黙劇なんですけど、女がずっと指の数を数えるシーンがあるんです。ト書きだけやたら豪華な作品で、指の数を数えたらいつか数が変わるんじゃないかという描写でした。

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今後、どんな感じで攻めていかれますか?
市川 
まずは、劇研での公演を作ります。とにかく作品を作ろうと思います。

動物型のマグネット

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今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。
市川 
ありがとうございます。(開ける)これは。
__ 
動物のマグネットですね。
市川 
結構リアルですね。ダチョウいいっすね。渋いフォルムしてますよね、やっぱり。
(インタビュー終了)