演劇人にインタビュー 頭を下げれば大丈夫

近藤 和見

劇作家。演出家。音楽

一つ前の記事
次の記事
同じカンパニー
うめいまほ(VOGA)
西村 麻生(VOGA)
同じ職種
亀井 伸一郎(カメハウス)
k.r.Arry(劇団エリザベス)
大内 卓(劇団飛び道具)
大原 渉平(劇団しようよ)
李晏珠(The Smoke Shelter)
戒田 竜治(満月動物園)
伊藤 拓(France_Pan)
山崎 彬(悪い芝居)
イトウワカナ(intro)
池田 鉄洋(表現・さわやか)
野木 萌葱(パラドックス定数)
藤吉 みわ(劇団ズッキュン娘)
山本 正典(コトリ会議)
河瀬 仁誌(劇団ZTON)
中野 守(中野劇団)
福谷 圭祐(匿名劇壇)
山口 茜(トリコ・A)
穴迫 信一(ブルーエゴナク)
福井 しゅんや(fukui企画)
田中 次郎(枠縁)
坂本 見花(浮遊許可証)
四方 香菜(フリー・その他)
勝二 繁(フリー・その他)
トミー(chikin)
大崎 けんじ(イッパイアンテナ)
青木 道弘(ArtistUnitイカスケ)
福谷 圭祐(匿名劇壇)
高間 響(笑の内閣)

【5月31日(火)追加公演決定!】VOGA第12回本公演 Social walk

__ 
石清水八幡宮の野外特設舞台前にやってまいりました。本日はVOGA第12回本公演 Social walkが公演間近という事で、脚本・演出・音楽の近藤和見さんにお話を伺います。今日はお忙しい中、お時間を頂き、本当にありがとうございます。
近藤 
よろしくお願いします。
__ 
先ほど、少しだけ稽古を拝見致しました。役者さんだけの稽古でしたが、振付を細かくチューニングしている様子でした。
近藤 
二月ほど前からこの作品の稽古を始めました。最初の1ヶ月は身体表現の稽古を行ったんですよ。身体の素地と、テンポの感覚を身につけて貰わないと振付が出来ないので。基本的な考え方としては、劇団員は大衆食堂のウナギではなくて、専門店のウナギになってほしいんですよね。
__ 
専門的な役者を望んでいる。
近藤 
まず、「VOGAの役者」にしたいんですよね。その為の訓練を脳と身体で吸収したら、どこでも通用するという自負心があります。これをまず一月やったら、別人みたいになっているんです。身体を入り口にして脳が変わっていく。みんな、脳を入り口にして身体が変わっていくと思っているのかもしれないけど。
VOGA

関西を中心に活動する舞台芸術集団。1997年、劇団維新派に在籍中、草壁カゲロヲ・近藤和見が結成。以来、動員1000人規模の本公演を重ねる。古典的物語や現代舞台に必須とされる身体表現も行いつつも、その、演出手法・劇場空間設定の異質さで、他の小劇場劇団や商業劇のいずれとも違う舞台表現が特徴。近年では東西、出身母体の垣根を越えた実力派役者が多数参加する。公演は観客にとって一種の『旅』と考え、「日常から地続きの非日常へ迎え入れる」ことをコンセプトとし、一般劇場の他、神社・教会・現代美術館・ライブハウス・造船所跡地など、屋内、野外を問わず上演。野外公演ではスタッフ・役者、総勢約70名超の一座が組まれ表現者交流のターミナルとしても機能している。2011 年8月より劇団名をLowo=Tar=Voga(ロヲ=タァル=ヴォガ)からVOGA(ヴォガ)に変更。2015年現在、結成19年目を迎えた。(公式サイトより)

VOGA第12回本公演 Social walk

【5月31日(火)追加公演決定!】 <Social walk作品モチーフ> 人は生まれ、社会の中の様々なものと関わりながら歩んで行く。 石清水の荘厳な杜の力を借りて、ひとりの少年の歩みをモチーフにして描く幻想的な叙情詩。音・光・動作・言葉、VOGAが描き出す風景の連なりを感じとって頂ければ幸いです。 □開催日時 2016年5月20日(金) ~5月31日(火) 全日OPEN 18:00 START 19:00 ※5月25日26日休演 □会場 京都・石清水八幡宮野外特設舞台 □キャスト&スタッフ 脚本・演出・音楽:近藤 和見 キャスト: 草壁 カゲロヲ/タナカ・G・ツヨシ 足立 昌弥/荒木 輝/野島 健矢 うめいまほ/渡辺 綾子/西村 麻生/小森 ちひろ/長谷川 りか/今道 鮎美 岩本 苑子/石川 信子/日下 七海/ままれ(チムチムサービス) 前田 愛美/香川 由依/佐藤 敦子/清水 風花/西尾 友希

演技をしてしまう身体

__ 
つまり、VOGAのメソッドを身につけてほしいのですね。
近藤 
僕らのメソッドというよりは、一つの体系の中で思考停止をしてほしくない。芝居とは、演技とはってこうやん、みたいな。イマジネーションの仕事をするのであれば、それでは成長しない。そういう思考停止をしない舞台人を集めたいなと思っています。僕は、思考停止してるなと思ったらめちゃくちゃ怒りますね。考 えない事が罪なんです。アホでもいいんですよ、ヘタでもいい、考えてやり続けないといけない。基本、それしか言ってないですね。大まかに言うと。
__ 
私が最近、仕事で考えている事と同じような気がします。依頼された仕事について考え抜いて、お客さんとイメージを合わせて、それで作らないと、良いものは出来ない。
近藤 
カウンターパートナーという考え方があります。クライアントさん側とこちらの能力が対等な状態を言うんですけど、演劇となるとお客さんの方が賢いんですよね。余計な演技をしてしまう役者がいたとして、その人は要らない事ばっかりしてるけど、お客さんにはもう伝わってるでそれはと。むしろお客さんをバカにしているんですよね。お客さんが感想で「分かりにくかった」と仰る事もあるけど、僕はそちらの方が良いと思うんです。静かに胸に、ぐっと秘めて帰ってくれるような演劇が作りたいと思っています。
__ 
お客さんの心に沈むような。

道すがら

近藤 
僕は、印象に残る、大きな筋を強く意識して作っていて。細かい身体の使い方等のディテールは細かく指定しているんですけど、基本的には、何年か後にハッと思い出すような絵を作りたいんですよ。その為には、順序とか流れが残ってないと思い出せない。男山山上線のケーブルカーに乗った辺りからその流れは始まっていて、駅に着くと空気がスッと変わって、「何かいい場所に来たのかもしれない」と、安心感と不安感の入り交じる状態になる。
__ 
私もここに来るのは初めてなんですが、明らかに空気の成り立ち違いますね。
近藤 
不思議な場所だと思います。僕はここ、日本でも5本の指に入る野外劇の環境だと思っています。そこまで辺鄙じゃないですし、意外と近い。大阪からだと、京都市のどこかに行くよりも早いです。歩かなくて済むのがいいですよね。そして何より、音を出してもいい。最後に、誰にでも貸している訳じゃない。
__ 
というと。
近藤 
維新派の松本さんと喋っていて、どうやってこんなところを借りられたんだ、と。松本さんは八幡市とゆかりが深いんですけど、ここは「初めから借りれるものだと思ったことがない」と。それぐらい格式が高い場所なんですね、本来。僕も怖いもの知らずで、お話をさせて頂きました。吉田神社の宮司の方に口添えしていただいたんですよ。「ウチが毎年困ってる企画がある」って(笑う)。石清水八幡宮の方には前回も僕らの取り組みを見ていただいて、今回もやっていただいて結構です、と仰っていただきました。今回のテーマでもあるんですが、縁ですね。

金の雨が降る

__ 
この石清水八幡宮、さきほども申し上げましたが空気が特別な感じがしますね。さっきから何か、金色のものが降ってきてますし。ご自身としては、ここはどんな場所ですか?
近藤 
野外劇という事で、何も無い場所に舞台を建てるんですけど、僕の中ではこの舞台は母胎なんですね。それは喩えではなく母胎で、ここで生まれたイメージが、お客さんの中に産み落とされる。最後にはここには、釘一本残らずに去る。そして、来年もいい子を産んでね、みたいな。
__ 
非常に神聖な場所という気がしてきました。
近藤 
ここの夜、一人でぽつねんと作業をしていると、ざわざわと、人ならぬものが蠢いておるなあ、と。神域だからかもしれません。スピリチュアルな話はおいといて、イメージを喚起してくれる場所なんですよね。お客さんにも、この場所で舞台を作る意味は感じてもらっているんですね。何か、しんどいな、辛いなと思っていても、弱音は吐けへんな、という感じはします。
__ 
半分近くの方は、ここを訪れるのが初めてかもしれませんね。どんな思いを抱くんだろう。
近藤 
八割ぐらいの方は初めてだと思います。僕らがその最初になれる。僕らの作品がどう広がるかは分からないですけどね。ここで演劇を始めた人もいる。
__ 
そう、VOGAの紹介文に「表現者交流のターミナル」とありましたね。多種多様な方が出会う場所ですね。
近藤 
もちろん、繋がりを求めて芝居を作ったらいけないと思うんですけどね、結果的には繋がりになるんですよ、表現活動って。本能として繋がるというのが無かったらあかんし、逆に、繋がらないという可能性も追求せなあかんのかな、と思います。陰と陽を理解しておかないといけないのかもしれない。

「町をお散歩」

__ 
「Social walk」、非常に示唆的なタイトルですね。
近藤 
感覚的には、意訳すると「町をお散歩」なんですよ。世間をお散歩するという感じで。
__ 
誰が歩くのでしょうか。
近藤 
舞台上でみんないっぱい歩き続けるんですけど、それを見ながら色んな歩き方を目の当たりにして、イメージを引き連れて行きたいなというのがあります。「Social」、社会行為は他者がいないと成立しない。関係性に対して何かを投げかける。お客さんに、改めて世間の姿を表現するというイメージがあります。それも、ラジカルに。それから、意趣返しの意もあります。
__ 
意趣返し。
近藤 
ここ石清水八幡宮で上演するという事で、なにか奉納する演劇というイメージが持たれているのかもしれない。刺激のないものをイメージされる人がいるかもしれないけど、違うよ、と。結構、そういう挑戦的な姿勢もあります。
__ 
お客さんも日常を離れる小冒険をするし、VOGAも挑戦してるんですね。石清水八幡宮さんもそうかも・・・。
近藤 
それと、ルソーが社会契約論で言っているんですが、元々みんな何も所有しておらず同じ者なんです。が、「誰もが利益のある暮らしを望んでいる」という前提がある事にされていて、正当さの元に、モノを所有するためのルールが生まれ、それを前提にした世界が成り立っている。今回の主人公は少年なんですけど、彼らはまだ所有するという感覚を持っていない。彼らと大人のルールで動いている世間の対比。その中を優雅に、あるいは苦しみながら歩いている。そういう話なんですよね。
__ 
優雅に、そして苦しみながら散歩する。

いま改めて、丁寧さについて

__ 
この作品で、出演者にどんな事を望んでいますか?
近藤 
やっぱり、丁寧に表現してほしいですね。「丁寧に」って難しい言葉ですがまさに社会的な行為を指しているんですね。自分だけが住んでいる部屋なら散らかっていても良い。なぜなら他者がいないから。他者が存在する社会行為であれば整理をしないといけない。舞台は正に社会行為だと考えているんです。カンパニーは社会の公器だと思っていて、そうでなければ丁寧さは失われる。他者と関係を持つ、社会行為を行う公器。だから何をしても良いという事はなくて、少なくとも関わっている人たち、内部の人の親族一同、納得してもらえる作品じゃないといけない。出演している人に求める丁寧さは、そもそも自分が選んだ事をやっている自己肯定を持ってもらいたいです。それを持つと、人にやらされているというレベルから脱却できるから。そこが大事だと思うんですね。世の中、そこで分かれるんじゃないかなと思うんですね。
__ 
そうですね。言われて作っただけのものと、考え抜いて疑い抜いて作ったものは全然違いますよね。
近藤 
そういう意味での丁寧さで作り続けると、世の中とか周りに流されにくい人になっていくと思うんですよね。そうなると、わざわざこんなめんどくさい、リスキーな野外公演が出来るようになります(笑う)。

誰に見て欲しいですか?

近藤 
正直、いまは難しい時代で。興味を保たない事には持たなくて良い時代だと思うんですね。でも、見てみたら良いなと思える作品だと思います。来年は来ないかもしれない。でも、10年後にはまた来てくれるかもしれない。この場所で公演をやる事の意味を感じています。だからこそ、場所の価値というのはきっと高いと思います。偶然の価値の高さは外国の方は捉え方が違うみたいで。神の仕業というのかな、ビリヤードで難しいボールがポケットに入ったぐらいでは奇蹟とは呼ばない。隣のビルから投げ込まれたボールがポケットに入ったら奇蹟に近い、とか。偶然の価値が高いお客さんが来てくれたら、真の縁やと思いますね。絶対ありえへんようなお客さん。もちろん、いつも見てくれるお客さんには感謝です。
__ 
この石清水八幡宮だからこそ。
近藤 
この場所だからこそ、そんなお客さんも多いのかもしれませんよ。外から見えますからね。
__ 
季節がめぐるたびに思い出すかもしれませんね。
近藤 
今回から10年続けるつもりで、今回は最初の1年目。一番シンプルな形でお客さんに紹介したいと思います。
__ 
素晴らしいと思います。例年行事として定着してほしいです。

質問 山中 秀一さんから 近藤 和見さんへ

__ 
前回インタビューさせて頂きました、津あけぼの座劇場のテクニカルディレクター、山中秀一さんから質問を頂いてきております。「ぜひスマートフォンに入れておきたいアプリを教えて下さい」。
近藤 
コンパスは必ず入れますね。実は今回の作品、方位を意識して振付をしているんですよ。南を向いてセリフを言って、とか、そこは西を見てほしい、とか。まあ、地球でやってるから。
__ 
素晴らしい。そうですね、劇場内ではなく地球でやってますね。

どんなお客さんに見て欲しいですか?

近藤 
野外劇、もっと言うなら演劇を体験をしたことの無い方。一回、騙されたと思ってみてもらいたいと思います。
__ 
夜のピクニックだと思えばいいですね。意外と近いですし。
近藤 
思い出に残る体験になると思います。僕らの公演に10年前に来てくださった方が、その時の公演を昨日の事のように思い出して下さるんです。
__ 
それぐらいの絵を実現させる流れが、全体を通してこの特別な地に存在している。舞台は役者が自分で選びとった仕事で構成されていて、お客さんの中にイメージとして産み落とされる。
近藤 
見た事で、お客さん自身が少し変わったらいいなと思います。出来るだけ良い影響として。作品が終わった後に、各々の心の中に何かが残されなかったら悲しいですよね。見終わったあと、少し茫然として帰るような、そんな作品が作りたい。
__ 
はい。
近藤 
今回僕は、自分が作ったものを見れる立場にいるんですよ。出演していないから。自分の心に素直になって、これは良いものが出来たと感じています。そもそも、自分の心が動かない作品を見せるのは失礼かなと思うんです。お客さんがどう思うかなんて分からないですけど、自分の心が動いたものであればオススメ出来る芝居です。格闘ですね、作品作りは。技と身体は伝えられるけど、心は伝えにくい。
__ 
そうですね。
近藤 
この間も熊本で震災があって。そんな中僕らは芝居なんか作っているけれど、それを許す社会ではあるんですよ。ありがたいことにね。その許容に甘えるのではなく、しっかり作るというのが報いだと思うんですよ。しっかり、丁寧に仕事する。道徳の授業よりもきっと大切な教育になると思うんですよね。漠然とですけど。作品が面白ければいいや、とは僕はあまり思っていなくて。生きてて甲斐があるな、と実感する場所であってほしい。野外の面白さも、そこにあると思う。僕らがここで見せる生き方や考え方に、お客さんが拍手をしていただくことで、全部報われる。この作品で二十周年を迎えるんですけど、それを一つの区切として、また新たなスタートを切る気分です。
__ 
ありがとうございます。

西陣織のネクタイ

__ 
今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントがございます。どうぞ。
近藤 
ありがとうございます。
__ 
西陣織のネクタイです。
近藤 
いいですね。こう着けるのかな。
__ 
おお!とても似合っています。
(インタビュー終了)