演劇人にインタビュー 頭を下げれば大丈夫

石田 大

俳優

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粛々と演劇

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今日は地点の俳優である、石田大さんにお話を伺います。どうぞ、宜しくお願い致します。いきなりですが、石田さんは最近いかがでしょうか。
石田 
最近は粛々と演劇をやっていますね。5月から本番もかなり続いています。稽古をして上演して、そういう期間の間にも次の次の公演の稽古を前倒しでやって、みたいな。
__ 
確かに、地点の活動はこのところハイペースですね。以前上演された「かもめ」 などがcafe montageで見れたり、ファンには嬉しいです。
石田 
ありがとうございます。一本作品を作ったらそれは劇団の財産で、分かりやすく言えばレパートリーなんです。公演が終わったら終わりではなくて。レパートリーを増やしていくのが、劇団の活動でもあるんです。もちろん、中々再演が出来なかったりとかはあるんですけどね。
地点

多様なテクストを用いて、言葉や身体、物の質感、光・音などさまざまな要素が重層的に関係する演劇独自の表現を生み出すために活動している。劇作家が演出を兼ねることが多い日本の現代演劇において、演出家が演出業に専念するスタイルが独特。(公式サイトより)

地点『かもめ』

公演時期:2011/9/28〜10/16。会場:京都芸術センター 和室「明倫」、アートコンプレックス1928。他、再演多数。

地点『コリオレイナス』Coriolanus

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さて、2013年1月25日から29日まで京都府民ホールアルティで上演される、地点の公演「コリオレイナス」。今年グローブ座で初演された作品の凱旋公演なんですね。大変楽しみです。
石田 
はい。今回、地点としては初めてのシェイクスピア作品です。
__ 
少し意外な気がしますね。グローブ座での上演映像を拝見しましたが、ちょっと気付いた事がありました。以下の三重構造があるんじゃないかなと。    1.「地点の俳優が戯曲を演じている層」    2.「戯曲の登場人物の物語の層」    3.「どこかからやってきた旅芸人の一座がお客さんの前で演じている」 これ、KYOTO EXPERIMENT2012で上演された『はだかの王様』を拝見した時にも思ったんですが。
石田 
確かにあると思います。特に僕らはメンバーが7人(俳優5人、あとは演出と制作)しかいないので、自然と旅芸人的な雰囲気が出るのかなあ。『はだかの王様』は子供の前で上演したので、なおさらそういう空気になったかもしれません。
__ 
やっぱり。『コリオレイナス』では石田さん演じる芸人がまずいて、彼が甥っ子や姪っ子達を旅芸人一座として連れて回っている見立てがあるのかなと。でも、叔父さんが前で芸をやっている間中、子どもたちはずっと仏頂面でよそ見してて、しかもいたずらを仕掛けたり。それが、コリオレイナスという英雄に振り回されている市民達の姿と重なって、観客の役割も二重三重に重なっていったように思いました。
石田 
いまの地点の新作では、確かにそうした演出が多いのかな。最近では、5人全員がコロスとして、一つのテキストを全員でやったりしていますね。
コリオレイナス

公演時期:2013/1/25〜29。会場:京都府立府民ホールアルティ。

Globe to Globe

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地点版「コリオレイナス」。どのような魅力があるのでしょうか。
石田 
今年の5月にロンドンのグローブ座で、GLOBE TO GLOBEという企画に参加して上演しました。それはどういう企画かというと、37戯曲を37言語で上演するというものだったんですが。
__ 
日本語で上演されたのですね。字幕とかはなかったんでしょうか。
石田 
字幕はあったんですが、場面説明だけでした。でもセリフが日本語でも分かるみたいでした。
__ 
なるほど、戯曲を読んでいる人が大半かもしれませんね。というか、知らない言語で自分の国から生まれた戯曲が上演されているなんて、物凄く面白い体験かもしれないですね。でもそれが楽しめるかどうかと言うと・・・どうでしょうか。
石田 
シェイクスピアの戯曲は韻律があって、それだけでも音楽的なんです。それを日本語に訳すとなると、翻訳者は日本の韻律を当てはめることになる。和歌であるとか、日本にしかない形式のものに変換するんですね。結果、日本語独特の言い回しによる音楽性が生まれるんです。
__ 
日本語は平坦だから、英語圏では危ないと思うのですが。
石田 
ところが、シェイクスピア劇の特徴である朗唱術に感情の高低が加わると、言語が分からなくても伝わるんです。地点の演出ではコリオレイナスだけが深編笠を被っていて顔を隠しているんですよ。表情が読みとれない、しかも言葉は通じない。でも、その状態でもセリフは伝わるし、観客は最後まで見てくれていたんです。そこは驚きましたね。

型と渦

__ 
ちょっと納得した事なのですが。確かに、私がイギリス人だったとして、日本からのカンパニーが英語で話し始めたら違和感を感じるかも・・・。やっぱり、自分たちの言葉で上演してほしいですね。
石田 
今回はあえて、福田恆存訳版を使っています。日本人でもついていけないくらいのスピードで難解なセリフをまくしたてて、あるところで声をひっくり返したりする地点の演出。意図的にそうしてるんですけど、笑うんですよね、海外のお客さんも。
__ 
分かってないはずなのに?
石田 
こういう現象が起きるというのは、実は思っていた通りなんです。朗唱術として抑揚などを考え、見せ場としての長セリフを構築して、やっとそこに感情が乗るんですよ。そういう作り方をしないと、感情だけじゃ上手くいかないんですね。俳優が渦中に入っていくとき、そこには型がないとだめ。型だけでもうまくいかない。うまくいったときは、俳優が発する音の中から何か生まれてくるものがあるんです。

埋まっている

石田 
逆に、同じ言葉が通じる劇場の方が、難しくなってしまうこともある。特に地点の作品だと、「いま歌いながらセリフを言ったけど、どういう意味があるの?」って。
__ 
それは、よく思います。
石田 
実は作ってる側もそこに引っかかるんです。が、本番にあがる前に俳優それぞれが埋めていけばいい事なんですね。その俳優の作業の内実は、観客や、もっというと演出が知らなくてもいいことだと思うんです。自分がその埋まっているものを知っていればいいんですよ。それを形式一辺倒にやってしまうと上手くいかない。もちろん長セリフだって、やらされてる感満載になってしまう。理由が埋まっている事の必要性を、言語が通じないグローブ座で認識しなおしました。
__ 
埋めるという作業が、俳優の仕事なんですね。
石田 
反面僕なんかは、いい加減なのかもしれないけど、芝居を見に行ってもあまりセリフを一言一句聞いてないんですよね。そんなにみんな、セリフばかりを気にして見てるのかなあ。もっと、何か大きいレベルで見ているんじゃないかな。もちろんやってる側はセリフを全部覚えている訳ですが。
__ 
お客さんの身体のモードが色々あって、例えばお笑いの時はかなり頭を使って見てると思います。細かい間とか、論理とかを追いかける訳ですから。石田さんの仰っている見方は、きっとパフォーマンスに近い、スケールが大きい方の鑑賞体験なのかもしれませんね。
石田 
海外で演劇を見る時、もちろん分からない言語で喋っている俳優を見る事になるんですけど、やっぱり面白い演技は面白いんですよね。そのうえ、上手さも技術も分かるんですよ。ものすごく高い技術の研鑽があるんです。海外では演技を体系付けた学問がある、それを肌で感じます。
__ 
言葉が通じないからこそ、営々と築きあげてきた表現の学問の体系を感じたと。
石田 
そこで僕なんかが意識するのは、日本の演劇史の初期に新劇の人たちが作り上げたものの凄さなんですね。今から考えたら「わざとらしい」演技なのかもしれない。テキスト自体が話し言葉じゃないから。スタニスラフスキーシステムを元にリアリズムを追求していたのが、今の時代の僕らにはそのリアリズムが分からない。でも、ある意味では、文語体で書かれたセリフをどう音声言語化するかという技術だったと思うんです。それを、個人の性質に合わせて身につけていくんです。シェイクスピアの作品を上演するにあたって、そのことが必要な事だったんだということを実感しました。

野蛮な劇場

__ 
地点「コリオレイナス」。改めて、見所を教えて下さい。
石田 
このコリオレイナスという戯曲は日本じゃ全然人気ないんですけど、面白く仕上がっていると思います。若い人はシェイクスピアに触れた方がいい。演劇に興味がある人は特に。
__ 
というと。
石田 
演劇史に歴然とあるもので、ずっとついて回るものだからです。俳優の仕事って、他者が残した文字言語を自分の身体を通して音声言語化する事だと思う。でも、シェイクスピアが書いたセリフは簡単には言えないんですよ。だから、喋れるように戦わなきゃいけないんです。
__ 
形式化してはいけないという事ですか?
石田 
いや、ちょっと違います。たとえば古典の戯曲を自分の日常生活に置き換えれば喋れるじゃないかという意見もある。でも、それが書かれた当時の言語で喋れなければ、自分の仕事が出来た事には決してならないと思うんです。僕は圧倒的に、他者の言語で書かれた戯曲に惹かれました。これはどうやったら喋れるのかと。それは俳優である自分にとってとても大きいテーマです。
__ 
シェイクスピア戯曲と戦っている石田さんがいるという事ですね。
石田 
今回、アルティ ではグローブ座と同じく3階席まで作って上演します。グローブ座が面白いのは、明らかに1階のヤード席が舞台と同じレベルで扱われていた事なんです。1階の観客の目線は舞台の高さと同じぐらいになるんですが、2階から見ると、ヤード席の無数の頭と舞台が同じ高さに見えるんです。まるで、舞台の延長のように。
__ 
それはとても面白いですね。
石田 
で、これまたセリフの話なんですけど・・・学生の頃シェイクスピアを読んでいてこんな長い独白をどうやって喋ればいいのか分からなかったんです。2、3行で済むようなセリフを、例えをいくつも使って2、3ページ使って説明してるし。じきに根本的な事に気がついたんです。これは観客に向かって喋ればいいんですよ。何で先生はそれを教えてくれないんだろうと思いましたね。プロセミアム形式の劇場が成立したときから「第四の壁」が出来た事にされていて、何故かその壁の向こうからは見られていない事が前提になってたからなんですけど、グローブ座にはそんなもの無いわけですよ。言ってしまえば野蛮な劇場です。
石田 
2階の観客はヤード席と舞台とのやりとりを演劇の一部として鑑賞し、ヤード席の観客もそれを分かっているから、俳優とのやりとりに楽しみを見いだしたりする。それはやってても楽しい部分ですね。しかも、Globe to Globeではシェイクスピア劇をオリジナルに近い環境で上演するというテーマの企画でした。シェイクスピアの戯曲にはそうした側面があると僕は思いますし、他でもないグローブ座で確認出来たのは貴重な体験でした。今回はヤード席も設定するので、見に来た人にその一端を感じてもらえればなと思います。

演劇のやり方、はじめ方

__ 
石田さんがお芝居を始められたのはどのようなきっかけがあるのでしょうか。
石田 
元々映画が好きで。中学生の頃になると夜中にTVを付けて映画を見てたんですよ。本当は女性のおっぱいが見たかったからです。まあ色気付いてきた年頃なので。深夜の映画を見てたのもおっぱいが映るからでした。
__ 
当時は19時から普通にありましたね。23時からはギルガメッシュナイト、11PM。単発の企画モノもありましたね。
石田 
夜な夜なこっそり起きて見てました。もう少し大きくなってから分かったんですが、そのころ見てたのがATG(日本アート・シアター・ギルド)配給の映画だったんです。最初はおっぱい見たさで見てたんですが、いや最初から最後までおっぱい見たさでしたけど。一つだけ、おっぱいじゃない印象のシーンがあるんです。
__ 
というと。
石田 
東陽一さんの『サード』という映画で、部屋をバーンと開けたら峰岸徹がベッドの上にいて、背中の入れ墨にクローズアップするというシーン。その映像を鮮烈に覚えています。なんじゃこりゃ、って。そういう、強烈な印象の映像がいくつもあって。それからしばらく経って、ATGの映画を借りてみていたらいつか見た事のある映像にいくつも突き当たったんです。これもこれも、昔深夜に見たことある!って。人の臭いとか存在感が、僕の中に残っていたんです。
__ 
俳優業は、すでに始まっていたんですね。
石田 
高校生の頃に、市の財団がやってる演劇教室に参加してたんですよ。週末に稽古して、年度末に公演するという。そこでは男が僕一人だけでした。それが最初の演劇体験かな。稽古では、延々と『ロミオとジュリエット』の稽古やってましたね。何が面白いのか分からなかったし、恥ずかしかったなあ。
__ 
そこから桐朋に?
石田 
そういう学校があると聞いて、でも何が面白いのか、どうやればいいのか分からずに続けてたな。
__ 
ご自身で俳優術を発見してから、変わりましたか?
石田 
というよりは、演劇のやり方ですね。セリフのしゃべり方というわけではなく。こうやったら演劇好きになって、続けていきたくなるよ、というのは誰も教えてくれないよね。そういうものって教えられないんじゃないかな。それから、学校出て10年くらい新劇の劇団に入って、三浦に会って地点を旗揚げして京都に来て。その時々で色々考えはあったけれど、全部タイミングですね。

質問 鉾木 章浩さんから 石田 大さんへ

__ 
前回インタビューさせて頂いた、鉾木さんから質問です。「大阪の演劇について、どう思いますか?」
石田 
僕、不勉強で、こっちに来てからあまりみて回ってなくて。エンターテインメント性の強い劇団が多いという事は聞いています。
__ 
そうですね。もっとこう、芸術を使って真理とかの追求を行うよりは、人間同士の繋がりを実現していく感じなのかなと。人間系のアプローチが多い印象はあります。
石田 
人情話?
__ 
そうですね。
石田 
でも、落語とかだと人情噺は、東京の方が多いらしいですね。

舞台上で「何かあるぞ」という予感

__ 
これからの目標は。
石田 
地点で活動していくのは前提として、傑作を作りたいですね。
__ 
傑作とは何を指しますか?
石田 
みんながこれから演劇を作る上で意識されるものです。「地点はあれを作った」と、事あるごとに思い返されるような、ベケットの『ゴドーを待ちながら』のような作品です。
__ 
私にとっての傑作とは、その時代のその劇団にしか作れない作品と、時代の気分と観客の認識が一致し、それ自体が力を持った時空間の事を指します。演劇は時間と空間を使える唯一のメディアで、その中で行われるアジテーションによって、観客の認識が一致すれば、誰もがみんな、それが傑作だと分かると思います。
石田 
その場で何かが生まれる瞬間ね。今傑作とされているものは、本物だから残っているんでしょうね。
__ 
これまでいやというほど演劇は上演されていて、しかし全てが本物の傑作として残っている訳ではない。しかし、世界は傑作を求めている。
石田 
圧倒的なものには憧れるよね。長年やっていると、舞台上で「何かあるぞ」という予感はある。色んな要素が、その時代や環境によってあるんでしょうね。
__ 
「何かある」とは? 予感ですか?
石田 
うん、本番でも時々あるんですよ。舞台の上で抜き差しならない空気になることが。何ものにも代え難いもの。20何年やってますが、鳥肌が立つなんてものじゃない。アレはねえ・・・。幾度か体験したんですけど、やっぱりそういう凄いものを作らないと意味がないですね。

チェック柄の鍋敷き

__ 
今日はお話を伺えたお礼に、プレゼントを持って参りました。どうぞ。
石田 
ありがとうございます。クリスマスプレゼントですね。嬉しいです、なかなか貰えませんからね。
__ 
大したものではないですけどね。
石田 
(開ける)鍋敷きですか。いいですね。お洒落ですね。色も、僕の好きな緑です。
(インタビュー終了)