「おかえり未来の子」
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- 今日はどうぞ、よろしくお願いいたします。大阪と東京で活動されている、D地区の高谷誉さんにお話を伺います。最近、高谷さんはどんな感じでしょうか。
- 高谷
- よろしくお願いします。最近は10月に大阪・11月に東京で上演する公演の準備をしています。これまでよりも大きな規模の公演で、劇場を借りて本公演するのも初めてですし、スタッフ準備や助成金絡みの手続きもいっぱいあって。
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- 毎日お忙しいですね。
- 高谷
- でも毎日楽しく。僕は29歳なんですけど劇団は3年目くらいでキャリアも浅いし、大学生演劇から始まった劇団ではないので横のつながりとかも全然なく、同年代からしたら出遅れているかもしれない。でも頑張っていくしかないかなと思っています。これをやりきったら大体のことは出来るようになるだろうと思うんです。
苦悩
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- 「おかえり未来の子」は、実家の宗教活動についてという非常にデリケートな作品だっと思います。どんな時代でも出自というのは描きにくいものですが、令和の今ではカミングアウトは選択肢として認められているものである分、上演しやすかったとも言えるのでしょうか。
- 高谷
- 新興宗教が叩かれ始めたひと昔に上演していたらどうなっていたのかなと思います。色んなことが語りやすくなってはいるのかなと思います。
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- 演劇化して良かったですか?というところが今回のインタビューの主題になっていくのかなと思います。伺う前に私の出自を言わないといけないと思うのですが、私は白光真宏会という宗教団体の施設管理人の両親の元に生まれたのですが、別に信仰を強制されることもなく、学校でいじめられることもなく。とはいえ選べない出自という点では「おかえり未来の子」での描写に色々思うとこがありました。日本人は創価学会の会員さんに無自覚なヘイトを行ってしまいますが、それはもちろん色んな理由や、明文化出来ない気分的なものがあると思うのですが、大きく言うと「反新興宗教」と呼べる連帯意識がそうさせるんじゃないか。もちろん、新興宗教の信者もヘイトスピーチはするし、宗教だけじゃない様々な運動に参加してる人々も批判の域を越えた言動を行っている。それらは互いに循環し、再生産される。しかし、「おかえり未来の子」は、ヘイトスピーチされる側の体験を演劇作品に昇華することでその再生産にカンマを打とうとした・・・そんな言い方は出来ないでしょうか。そして、それはどう総括されているか伺いたいと思っています。
- 高谷
- そんなに勇敢なことではなく、実は創価学会のことを描こうとしていた訳でもなくて。安倍元首相銃撃事件があって、それにすごくショックを受けた、というのが大きいです。
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- なるほど、あの事件が題材でもあるんですね。
- 高谷
- ところで僕は宗教差別にもランクがあると思っていて。オウムが一番やばい、その次に統一教会、その次に幸福の科学、創価学会、みたいな。僕もだからめちゃめちゃ迫害を受けた訳ではないんですが、随所随所で嫌な思いはしたり、就職の時に会社に入られへんとか。その程度のマイルド版だったけど、そうじゃない山上みたいな人はテロを起こすところまで行っちゃう、もしかしたら僕が彼になっていたのかもしれない、そうなら今書いておこうと思って(一緒に舞台を作ったのは創価学会じゃない人ばかりなんで、稽古の中で得られたフィードバックもあって、その点でまず良かったなと思います)。宗教二世の人たちにも、そうでない人々とあんまり変わらない苦悩がある、ということも伝えたかったんですが、実際にはお客さんの感想として、「怖かった」というお声もあったんです。
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- 創価学会の地区グループの集会シーンがありましたね。確かに緊張感はあったと思います。
- 高谷
- 僕としてはショックを与えたくて取り上げた訳ではなくて。集会の様子が、劇のような世界のように捉えられた。その上演は差別の再生産とも言える結果になったかもしれない、でも人によって見方はそれぞれですし面白いと仰ってくれる方もいる。自分たちの力量不足ではあるけれども、学会員もふつうの人達のようにいま生きているし幸せになっていいじゃないか、ということを伝えるにはもう一枚壁超えないといけない壁があるんだなと思いました。
どう思った?
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- 劇作家が超えないといけない壁というのは、やっぱりどこかにはあるでしょうね。
- 高谷
- それがどこかというのがまだわからないんですが・・・お客さんに実際に集まってもらって上演し、終演後にどう感じたかというのを聞くことができるというのがとても意味のあることだと思っています。観終わった後、例えば自分ちの隣の隣の家に創価学会のポスターが貼ってあったとしてその人たちへのケアを意識してほしい・・・みたいなことは全く思わないんですけど、気持ち的にああいう人も存在するんだ、というくらいになってくれたらすごく良かったかなと思います。システム開発で言うテストじゃないですけど、実際にお客さんがどのように思ったのかを知ることが大事だと思っています。
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- テストと言うとまるで数字をデジタルに明確化するような業務に聞こえてしまいますが、決してそういうことではないですよね。そもそもお客さんは数字ではないし、予想されていない反応、伝えたいメッセージと相反する誤解と直面する可能性もある。しかし、自分達が超えないといけない壁を探すためにはしなければならないことでしょうね。
- 高谷
- 自分たちの作っている作品の題材が「うっすらと世の中にあるとされていながら実態がよくわからない創価学会へのヘイトみたいなもの」なので。作品の強度自体は自分たちでわかっていますけれども、世の中的にどうなのか、お客さんがどういうリアクションをするのか、というのに触れないと作り続けられないと思います。絵画とは違って、生でパフォーマンスをして見てもらうことが作品であると同時に製作プロセスの一環なので、そこには「フィードバックを積極的に得る」というプロセスは必須なんじゃないかと思っています。
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- それは、「他者性に出会う試み」なのかなと思います。演劇を上演して感想を聞く・・・人間ができる行為の中で最大級のそれだと思います。
ヘイトの発露
- 高谷
- 「おかえり未来の子」でも書いた通り、熱心な活動されている方は内に閉じこもっていて、創価学会のことだけ、学会のためだけ、という価値観。中学校の時に初めてパソコンでインターネットに接続して創価学会のことを調べたら色々言われててなんだかすごく傷ついたんです。
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- なるほど。
- 高谷
- 一方創価学会の人も、例えば共産党に対してのヘイトがめちゃめちゃすごくて。似たり寄ったりのところがあるんですね。マイノリティがマイノリティを差別してしまうという話かもしれないんですけど。その「閉じ」が視野に入ってきたとき人は「私は信者じゃないしマルチじゃないしスピってもないし」と自分の正常さを信じたい。人種みたいにわかりやすいわけじゃないけどアイデンティティの中に入ってしまってる。
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- 「自分はこれこれこういう物語を持っており、特定の人々からはこう見られているけれども正常だ」と、自分の地位を回復しようとしているのかもしれない。そのために他者を攻撃する様、傍目で見ていても困惑するほど厄介な光景ですね。それが表出したのがヘイトスピーチだと思うのですが、その瞬間、彼らはどうやって他者性を封印しているのだろう。私はすごく不思議なんです。もはや遊びとしてヘイトスピーチに気軽に参加していないか?それがネット炎上というイベントの正体ではないか、と思います。一例として挙げたいのですが、暇空茜さんってご存じですか?
- 高谷
- はい、もちろん知っています。僕も興味をもっていました。
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- 詳細に触れるのはやめておきますが彼はとても大きなものを相手にそういう事をしているんですね。女性支援団体のNPOの会計に対し客観的な調査をしないまま疑惑を向けNPO法人を悪魔化し、戦うというポーズを取ることで支援者を増やしている。全て主観的で曖昧で疑惑とすら言えない陰謀論に過ぎず、しかし傍目で見ている人には様々な効能があって同調させてしまう。それをネタに毎日とても楽し気にふざけ合って盛り上がっている。もはや独自のアクティビティと化している様で、それどころか仲間の絆が芽生えている。とはいえ被害を受けている方の気持ちを考えるといたたまれません。が、その支援者(暇アノンと呼ばれる)たちだけが変質者集団だ、とも思えないんですよ。別に暇アノンだけじゃなくて日本の大多数の国民も新興宗教の信者と見ると平気でヘイトスピーチしてくる訳ですから。とにかく陰謀論というのは影響力がすごいんですよね。
- 高谷
- 去年ぐらいの文春オンラインに、元暇空茜の側近の人の手記が載ってて。仕事がぼちぼち落ち着いた40代男性が「この人は正義の人だと思った」と付いていったけど、実務上の問題で色々と尻拭いをさせられ、離れたと。今は暇空側についたことを反省をしていますと書いてたんですけど、仁藤夢乃さんのやられているコラボを叩いていたこと自体に対しては何も反省していないと。それは、「ナニカグループが俺たちを阻害していて、それを壊滅させることで本来性を回復できる」みたいな世界観だと思うんですけど。
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- なるほど。
- 高谷
- 僕は、実は彼らの知性にはあんまり問題はないんじゃないかなと思っていて。それなりに理性的に物事を判断できるからこそ、荒唐無稽としか思えないような物語に乗っかってしまうというのが、不思議ですし面白いと思ってしまいますね(仁藤夢乃さんには大変申し訳ないと思うんですが)。
離れること、言葉にすること
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- 物語に没入すると他者性を喪うのだろうと思う。そして、物語にはヒーロー・アイドルが欠かせない。つまりカリスマですが、我々はカリスマに出会うとあっという間に惹かれてしまいますよね。暇空茜も恐らく、強い魅力を持った人物なのではないかと勝手に考えています。
- 高谷
- 僕らも劇団という形で活動していて、僕は作・演出というめちゃ権力を持ってるポジションでやらせてもらっているんですが、自分の言うことを通したくなるという気持ちがわかるんですよね。小劇場は金銭という形での報酬を渡しにくいので自分の言っていることをいかに魅力的に思わせ、一緒に行動できていることにどれだけ価値を感じてもらえるかという。ここでこういう言い方をしたら魅力的に思ってもらえる、分かっているふりをしたらすごいと思ってもらえるだろう、みたいな。そういう振る舞いをすれば皆付いてきてくれる・・・これ、めちゃめちゃ危ないと思いますね。
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- 分かります。その特権性は私ですら感じます。自戒しないとですね。
- 高谷
- みんな気をつけつつやってると思うんですけど、良くない例も数多くあって、だから気になるのかもしれませんね暇空茜が。オーガナイズだってめちゃうまいし。
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- 上手ですよね。完璧じゃない、一人の人間だみたいな隙を演出したり。
- 高谷
- 俺がやらないと、みたいな使命感を見せたり。
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- でも正しさを欠いた陰謀論を信じて実践してしまっている。とはいえ、繰り返すようですが暇アノンは盲目的信者だとも思えない。彼らはエコーチェンバーとフィルターバブルの渦中にいるかもしれないが、けして洗脳状態にある訳ではないし、高谷さんの仰る通り知能も高いと思う。正常な思考能力と理性があり、それなりに経験を積んでいる大人が多いと思うんですね。分別がついていないだけで。しかしなぜああいう『悪い』アクティビティに惹かれるのか?ひとつの仮説としては、中年の悲劇から目をそらそうとして、ボーイフッドに退行しようとしているのかなと思う。それは実際には、中年の悲劇で空く予定の穴に他人の悲劇を埋め込む結果になるのですが。
- 高谷
- それがハッピーエンドなのかバッドエンドなのかに関わらず、強度のある物語が用意されているから食いついちゃうというか。もしかしたら、物語自体を求めてるのかもしれない。
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- その物語は陰謀論と強く結びついていて、Colaboさんの大変貴重な活動に因縁を付け、カンパ金を集めて裁判沙汰を演じ、敗訴し続けて。誰がどう幸せになっているのか意味が分かりませんが、やめられない。
- 高谷
- 仁藤夢乃さんのColaboは、「トー横」と呼ばれる一帯が出来るずっと前から活動を始められていて。これは仁藤さんご自身の問題意識から始まっているんですね。劇団と一緒で、手弁当での活動にならざるを得ない以上、厳正な金銭管理を後から、それも悪意を持った第三者に正確に求められるなんてとても困る話です。それ以上に、暇空茜さんには社会的弱者への支援活動自体が理解できないでしょうね。
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- 理解できないから攻撃出来るとも言えるかもしれません。相手を攻撃する論理が集団に共有され、同一感・合一感が生まれる。論理とは物語ですから。でも根本的な部分では「いじめ」そのものへの憧憬がある気がします。(任意の)人物・団体(実は社会的強者であればあるほど良い)(ただしボーイフッドの幻想が通じなさそうな相手は除く)をターゲットにして罪悪感をタテに支配し、彼らが困る姿を悲劇として消費し、自分自身の悲劇から逃避する。さらにその行為を重ねて「ハクを付け」、自分達を囲うことで砦を形成・防衛している?
- 高谷
- 仮説としてなんですけど、いま僕は創価学会のアクティブな会員ではないんですが高校生まで創価学会をめちゃくちゃ普通に信じてたので教団への合一感を感じていたんですね。でもみんなの思考の硬さやボキャブラリーの少なさに不自由を感じて離れようと思ったんです。暇アノンは時系列的には在特会とN国の後に直列していると思っていて、彼らが盗まれたと思ってるのは利権ではなくて合一感の方なんじゃないかなと思っています。物語がなければ人生は生きられないじゃないですか。Colaboとかってちゃんとビジョンがあって活動されている。それを斜めから見ると公金チューチューして俺たちを阻害している。盗まれた合一感を取り返すための行動なんじゃないかって、少し思います。
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- なるほど。
- 高谷
- 合一感を回復するのはめちゃめちゃ危険な行為ですし現代思想では批判されている行為ですが、僕は大事なことだと思っていて。それは、知っているからこそそういう風に思えるのかなと思います。僕はちゃんと、物語を描こうと思っています。人類には共産主義とか階級とかいろんな物語が提供されてきたと思うんですけど、日本人には物語の発明はもう一度必要なんだろうなと思ってます。そういう意味で言うと暇空茜は発明はしてると思うんですよね。いいことじゃないんですけど。興味を持ってしまいますね。
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- 物語の発明という点では、頂き女子のりりちゃんもカリスマと言えるのかなと思います。ロマンス詐欺の犯罪者なのに、獄中からの手紙を公開するだけで共感される悲劇のヒロインになり替わる(そもそも間違いなく詩才があり、独自の文体を持っているのですが)。生ける物語そのものでしょう。人を惹きつける為のカリスマ性は、別に人間として正しく・優れている必要はないんですね。ただ、善悪を超えた無謬性は主人公の条件だと思う。その存在が条理を越えて物語を発生させるから。
- 高谷
- 演劇って、複数人で集まって超越と戯れるという行為だと思うんですけど改めてやばいなと思っていて。超越のビジョンをまず作らないといけませんが。
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- 確かにそうですね。
- 高谷
- 僕もある程度リベラルなんですが、いわゆるカリスマの持っている超越の良くないところがあるんです。人を簡単に用立ててしまう。道具にしてしまうことだと思うんです。さらに、「道具になりたいという欲望」を持つ人もそんなに少なくないと思うんですね。僕はそれ結構わかるんです。自分にこういうタスクが与えられていて、それが物語に奉仕できているという実存の充実を覚えるというのは。
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- 自分が、単機能の純粋な一つの道具になるという願望。
- 高谷
- 人を用立てるという行為に警戒はしているんですが、そうしない超越とは何かというのは結構難しいし、あったとしても動員力は少ないと思うんですね。そういう面では、暇空茜の攻撃態勢は人を集めて行動させてしまう力がある。やられた方は防戦一方になるので大変です。
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- だから暇空アンチ(カルピス軍団と呼ばれる)もたくさん存在します。とは言っても、彼らにしてみても暇空茜はアイドルなんですよね。活動のベクトル自体は逆に見えるけれども根本は強者をターゲットにした「いじめ」。そうした行為は大人がやるべき事では当然ありません。各々、個人的に終わらせる必要のあることだとは思います。内面化するんじゃなくて、切り離すべきです。その一つの方法として告解がある。舞台化がある。というか、暇空茜にせよりりちゃんにせよ、未来、誰かが演劇化してもおかしくない位インパクトは強い人物なんじゃないかと思います。
- 高谷
- もともと演劇はそういうメディアでしたしね。
質問 田中すみれさんから高谷誉さんへ
蕨羊羹
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- 今日はですね、お話を伺いたお礼にプレゼントを持ってまいりました。どうぞ。
- 高谷
- ありがとうございます(開ける)。羊羹や。
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- 蕨羊羹ですね。