前回公演「Vampire Killer」
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- ええと、前回はBlackchamberでしたね。
- 齋藤
- そうです。
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- 確かもう3ヶ月以上の期間、この公演に関わっていらっしゃると思うんですが。
- 齋藤
- 台湾に渡ったのが5月。それから現地で6月本番があって、8月に日本に戻って日本公演ですから、3ヶ月間ですね。
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- そもそもこの公演は、どういった経緯から始まったのでしょうか。
- 齋藤
- 遡ると、Afro13は2002年の10月に台湾の演劇フェスティバルに参加をしたんですよ。その時に台湾側でサポートをしてくれていた劇楽部の方とウチの佐々木が知り合って。出演団体の中で年代も近かったので出演団体の中で年代も近かったので終わってから一緒にカラオケ行ったり、仲良くなったんですね。その後、メールとかメッセンジャーで交流を続けていたんだけど。たまたま去年台湾に遊びに行ったら、向こうの団長さんから「来年は一緒に、台湾と日本で公演をやりませんか」とお話を貰って。それからですね。
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- 非常に楽しかったです。
- 齋藤
- ありがとうございます。
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- ご自身の手ごたえは。
- 齋藤
- 予想以上に面白い作品になったなと。初めは単純な思いつきで、台湾のキャストは台湾語で、日本のキャストは日本語でセリフを言うという作品を作ったらどうかと。それに至った過程としては、3年前にエジンバラの演劇フェスティバルで英語を多用せずに8割を日本語で話すというお芝居をしたんですが、それが意外に通じたんですね。
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- 実は、私は中学生の頃にアメリカにホームステイをした事があって。で、何とそこで日本語が通じるという体験をしたんですね。イントネーションとか、語感からかな。で、今回の公演も、何故か台湾語が通じた気がしていてですね。
- 齋藤
- アンケートでも、「こんな芝居分かるか!」とかあるかなと思ってたんですが、一つも無かったんです。日本のキャスト以上に、台湾のキャストの気持ちが理解出来たという驚くべき感想もあって。
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- コンセプトが明確だったというか。
- 齋藤
- まあ、難しいストーリーに全く出来ないので。単純明快なものにしか出来なかったんですね。例えば外国の人が桃太郎を英語でやったとしても、僕たちは何をやっているか理解出来ると思うんですよ。そんな感覚に近いのかな。よく使われるような話や体験した事のある出来事を主軸にすれば、あとは役者がどういう感情でストーリーを展開するかなんですね。あれがもし複雑な会話劇で、ずっと話をしていたら全く分かんないでしょうけど。
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- 字幕でも使わない限りは。
- 齋藤
- 僕ね、字幕が大嫌いなんですよ。
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- ああ、芝居の字幕が。映画のは?
- 齋藤
- 映画の字幕もあまり好きじゃなくて。出来ればナシで見られればいいんですけど、さすがに英語はそこまで分かんないので。字幕を観ながら画面を追うのはかなり難しくって。それでも映画はまだ画面の中に字が出るからいいけど、演劇の字幕は舞台の中には出ないでしょう。舞台と切り離した所にあって。アレはかなり破綻しちゃってるなあと。
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- 確かにそうですね。
- 齋藤
- 海外公演をする時も、字幕を使うという選択肢はありませんね。
Afro13
代表・演出 佐々木智広。1998年結成。演劇はもちろん、音楽、ダンス、アクション、様々な要素が複雑に絡み合い五感を刺激するような「言葉が通じなくても伝わる」作品作りを目指す。(公式サイトより)
BlackChamber
大阪市住之江区の名村造船跡地の劇場。
Afro13 Vampire Killer 日本公演
公演時期:2007年8月10〜12日。会場:BlackChamber。
コーディネーターの役割
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- Afro13のみならず、兎町十三番地の受付などでも齋藤さんのお姿を拝見する事があるんですけれども、齋藤さんのお仕事とはプロデューサーという。
- 齋藤
- そうですね、世間的にはプロデューサーとして名刺を渡したり挨拶させてもらったりしているんですけども、関わる劇団との関係でそれぞれ違いますね。それこそプロデューサーだったり、コーディネーターだったり制作やマネジメントだったり。というのは、プロデューサーという役割にこだわりがあって。映画においてプロデューサーというのは監督よりも偉い立場なんですよ。何故なら、お金を出しているから、というアメリカ的な考え方があって。それは良い考え方だなと思っていて。最終的には、監督が撮った映像の編集権限はプロデューサーにあるんですね。それで面白くない編集をされたら監督は怒りますね。したら監督が外されるんですよ。そうなると映画の監督のクレジットには外された人の名前は出ず、代わりにある架空の人物の名前が表示されるんですね。その名前でクレジットする事が決まっていて。ハリウッドでは、その架空の人物が一番多く映画を撮った事になっているんですね。
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- なるほど。
- 齋藤
- 日本でも、そういう意味でのプロデューサーがちゃんといるべきだと思っています。僕は色んな所で仕事をしてるんですけど、お金の責任を全て持つ場合以外は、プロデューサーという名前は付けません。
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- 例えば、コーディネーターですとか。
- 齋藤
- 劇団鹿殺しの制作をしていたときは、劇団の方向性とかも結構考えたりしていて。お金の責任以外のプロデューサー的な仕事もしていたので、ぴったり合う名前が無かったからコーディネーターという役職名もにしました。兎町も結構そういう感じですね。
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- コーディネーターとは、基本的にはどういうお仕事なんでしょうか。
- 齋藤
- 僕の中ではコーディネータとは、劇団が立ち上がって、その後の道筋を一緒に考えられる仕事まで出来る人をコーディネーターと呼んでいます。道一つ間違うと、5年で行ける所を10年掛かる場合があるから、そういう立場が必要なんですね。でも、そういうノウハウを上の世代の人は持ってる筈なのに下の世代には落としてこないんですよね。
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- 確かに、そういうイメージはありますね。
- 齋藤
- 映画ではそういうのちゃんと出来てるんですけど、お芝居は上にいっちゃったら下の関わりが、あんまり無いんですね。40代、50代の人たちが、20代の若手に「あなたはこういう風にすればメジャーになれるよ」みたいな話をする機会が減ってて。昔は、そういう人が劇場のプロデューサーになって、若手の劇団と接触する事もあったんですが、それすらも今はなくなって。行き詰まるじゃないですか。才能があっても。
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- それは嫌ですね。
- 齋藤
- もちろん劇団としての方向性とかはあるので色んなパターンを組まなければならないんですけどね。一度道を通っている人達と、右も左も分からない人達とでは、理想への近づき方は全く違いますよね。そこを、もっと手伝えたらいいなと思っています。だから、例えば兎町とかは第四回公演で東京公演するというのはここ十年くらいの関西ではかなり特殊な存在だと思うんですよ。それは、他のみんなが行けないという訳ではなくて、行く道しるべが無かったからなので。ちゃんと、マーキングさえしていれば、四回目で東京というのはそんなに無茶ではないんですね。
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- なるほど。
- 齋藤
- そこで勝負して駄目だったら、演劇でご飯を食べていく事を諦めて、社会に戻るか、細々と演劇を続けていくか、という選択肢を提案できるじゃないですか。
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- そういう、一個の公演の初めから終わりまでではなく、劇団の最初から最後までの舵取りを手伝うのがコーディネーターなんですね。
- 齋藤
- そうですね。それに加えて、さらにお金とかの責任を持って自分がどうこうしていく、という立場をプロデューサーだと思っています。
テレビに向かう舞台人
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- ちょっと目線を変えまして。今後、お芝居や、それを続ける人達はどうなっていきますか。
- 齋藤
- あー。
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- 大雑把すぎる質問ですけれども。演劇のモードとか。
- 齋藤
- 何か、これは僕の中の感覚では、日本ではテレビとくっつかないと演劇人はご飯が食べれないというイメージが強いのではないかと。テレビに出るというだけで、月給並みのお金が貰えたりとか。舞台に出るだけだと、中々難しいものがありますね。だからどんどんテレビに向かってる気がしてて。ここ最近。ただ、それがだんだん二極化していて。
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- 二極化。
- 齋藤
- テレビに向かう舞台人と、テレビから離れて生きていく道を見つける舞台人が出てくるんじゃないかなあと。
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- テレビから離れて生きていく道を見つける舞台人。
- 齋藤
- それは、例えばコンテンポラリーダンスの人達はテレビにくっつかずに自立をしている方がいるんですよ。田舎に住んで作品を作って都会に売りに来るという、ヨーロッパ的な発想で。あの流れに乗れる演劇人達も出てくるんじゃないかなと。純粋に舞台を極める人と、テレビと役者を兼業していく人に分かれるんじゃないかと。・・・という事をこないだ人に話したら、それは10年前くらいに鴻上さんがやった「リレイヤー」という芝居の最後のセリフでも同じような内容を言っていたらしくて。てことは、その頃から演劇人の間ではそういう考えが若干あったにも関わらず未だにテレビに向かっている、中々変わらない状況があるなと思いまして。でも、テレビでしか生きれない状況だと僕は寂しいなと思いまして。
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- そうですね。
- 齋藤
- 舞台でしか出来ない、舞台ならではの面白さがあるのに。そこに対して、もっとお金を払う人がいてもおかしくないのになあと。だから、何とかして自分達で演劇でお金を作るシステムを考えなければ、先がない。
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- はい。
- 齋藤
- いつまでも、テレビからのお金で成り立たせようとしてるから、僕らは何か一生排他的な存在な訳で。コンテンポラリーの人達みたいに、自立する為の道を探そうと思ったら出来る訳で。
道標
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- 今後、齋藤さんはどんな感じで。
- 齋藤
- どんな感じ(笑う)。やっぱり、高校からの夢が海外放浪とかだったので。海外と繋がる仕事がしたくって。今回の台湾の人との共同制作のような仕事を続けたいですね。ただ、それには今の僕の力が色々足りなくて。まずは、英語力を。
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- 英語力。
- 齋藤
- もっと高めないとなと思って。だから、留学とかしたいなと考えてます。最近。
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- 留学ですか。
- 齋藤
- 日本語でも海外で通じる芝居が出来るとか言ってて足りないのは英語力です、とか矛盾したような事を言ってるような気もするけど、言葉ってやっぱり特殊なもので。人間として、お互いの気持ちを確かめ合ったりするには言葉はそんなに要らないんですよ。そこから先、もっと深く知り合おうと思ったら言葉以上の物が要求されるんですよ。その人の生きてきた文化背景とか、住んでいる国の情勢とか、そういうものを知らないと。となると、言葉って曖昧なものなんですね。でも僕は、「そこから先」に行こうとしているから。まずは言葉を覚えて、その国の情勢なり文化的違いを覚えて仕事していかないと、やっぱりどこかで行き違いというか溝が出来てしまって。凄い作品を作ろうと思ったら、その溝が邪魔になったりしますし。
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- ええ。
- 齋藤
- あと、制作的には、制作として自立出来るような形を作らなければならないと思ってます。
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- というのは。
- 齋藤
- 制作というのは、劇場に就職するぐらいしか生きる道がないようなイメージがあって。本当にそうなのかと。制作の人が劇場に居ついてしまうと、劇団から離れるんですね。その反対のケースもあります。その状況はあんまり良くはないだろうと思ったり。制作の人って、30歳前になったら決まって辞めていくんですよ、この世界を。
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- なるほど。
- 齋藤
- それが、何か切ないですね。あまりにも明るい未来が見えにくいので。若い子はもっと現実的になってきているので、下手すると最後にはいなくなっちゃうんですね。制作者が。
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- まあ、普段は勤めていて、経済的な余裕が劇団員にある劇団もあるとは思うのですが。制作一本で生きていく人がいたら、その人が道標ですよね。
- 齋藤
- うーん。僕は、社会人しながら芝居をする人は素敵だと思うし、そういう人がこれから増えていったらいいなあと思うけど。
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- はい。
- 齋藤
- 制作だけで食っていけるという人がいれば、目指す人も出てくるだろうし。やっぱり、そこには夢がないとね。
シャープペン
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- 今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントがあります。どうぞ。
- 齋藤
- ありがとうございます。開けてもいいんですか。
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- はい。
- 齋藤
- (開ける)ええー。何?すげえ、何これ。
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- シャープペンです。
- 齋藤
- へー!すげえ。軽。そうそう、僕もね、高橋君がいつも人にプレゼントをしていると聞いてたんで。プレゼントです。
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- あ、ありがとうございます。
- 齋藤
- 高知県で有名な、ごっくん馬路村というジュースです。
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- 素晴らしい。これは、柚子とハチミツのジュースなんですかね。
- 齋藤
- 冷やして飲むと、かなりおいしいよ。
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- 冷やして頂きます。今日はどうも、ありがとうございました。
- 齋藤
- ありがとうございました。