演劇人にインタビュー 頭を下げれば大丈夫
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出会いは夜

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今日はどうぞ、宜しくお願い申し上げます。
井村 
こちらこそ、宜しくお願いします。京都ロマンポップで作曲を担当させて頂いております、井村と申します。
__ 
ありがとうございます。高橋と申します。さて、井村さんは京都ロマンポップには「幼稚園演義」 から参加という感じですか?
井村 
いえ、東京公演からです。最近入ったばっかりで。
__ 
あ、さかあがりハリケーン からなんですね。入団前はどのような事を。
井村 
高校時代から音楽活動はしておりまして、大学に入ってからバンドを組んでいました。芝居はというと、実は高校生から寺山修司の作品が好きで、「田園に死す」を見てました。あと、東京グランギニョル。そのぐらいから、演劇の連中は頭おかしいという事には気づいていたんですけど。
__ 
ああ、そうなんですね。入団されたきっかけは。
井村 
京都ロマンポップには、偶然入ったバーの向うに向坂がいたんです。「僕、バンドやってるんですよ」って言ったら、「いいねえーじゃあ曲作ってよ」って。
__ 
おお、バーテンにスカウトされるのは面白いですね。
井村 
何か直感で声を掛けられて・・・。気がついたら入団していました。まあまあ、やってみたら面白かったんで良かったです。
京都ロマンポップ

2005年、当時立命館大学生であった向坂達矢(現・代表)、よりふじゆき(脚本家)を中心として旗揚げ。以後一年に2〜3本のペースで公演。ポップな新劇というスタイルを取り、芸術的・哲学的テーマを基調とした演劇を製作する。現在、次回公演さかあがりハリケーンvol.5「ミミズ50匹(仮)」の出演者募集中。

京都ロマンポップ第11回公演『幼稚園演義

公演時期:2011/8/26〜30。会場:元・立誠小学校講堂。

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頭おかしいというのは重要ですよね。京都ロマンポップが頭おかしいと思われる部分とは。
井村 
賢そうでオシャレに見えるんですけど、よく考えるとスッカスカな事をやっているんですよね。中身がないんじゃないかと錯覚するんですよ。それは自分の音楽性に通じていて。中身スカスカ。
__ 
なるほど。井村さんは、スカスカなのが趣味なんですか?
井村 
結局、ナンセンスさが大きな趣味の一つなんだと思います。普通の服で出てくれば良いものをオムツを履いて出てきたりとか。その辺が好みなんですよ。演劇にしろ音楽にしろ映画にしろ、見て面白くないと娯楽じゃないんじゃないかなと思うんですよ。
__ 
そこが最低限の要素なんですね。最低条件に見えて結構難しいんですよね。もちろん、全てが全て、観客である私にとって面白くないから無価値という訳でもないと思いますが。
井村 
でも、これが「面白い」という定義が付けられていない芝居はただ「つまんねえなあ〜」と思うだけなんですよね。どうしても。僕らもバンドをやっていて、よく言われていたのは「オナニーで終わりたくないよね」、やはりお客さんを交えたセックスにしないとダメなんじゃないかと思うんです。5曲中に1曲くらいはオナニーに走った作品でもいいかもしれませんが。
__ 
「男肉duSoleil」 のように、全力でオナニーを行う劇団もありますね。
井村 
そういう方法もあると思います。
__ 
とはいえ、借り物のネタを行うような事はない。と思う・・・。つまり、「これが良い」と信じられるようなものがあるべきだと。
男肉duSoleil

池浦さだ夢を中心にしたパフォーマンスユニット。肉体を派手に使った、一歩間違うと意味不明なまでの過激な表現。

寄り添う接地点

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ひとつ伺いたいのですが、ライブで音楽を演奏する時。どうしてもお客さんが飽きている状態があると思うんですよ。風景が変わらない訳ですから。つまり、ライブではお客さんの身体の状態遷移を想像して付き合っていくのが難しいのではと思っていて。その辺りについては、どういう考え方をされているのかなって。
井村 
もちろん、全ての瞬間で盛り上がる事は不可能だとは思っています。例えば盛り上がるポイントを1曲目に持っていって、3曲目はクールダウンして、どこかに遊びの1曲を入れたりして・・・激しい曲ばっかりでも盛り上がりはするんですけどね。
__ 
ええ。
井村 
でも、自分がやりたい事とお客さんの体感の気持ちよさの接地点が最初の時点で重なるように組まないと、と思いますね。
__ 
それは、私がずっと考えている事と似ているように思います。お客さんを導入する事って大事ですよね。最初に遠ざける手段もアリだとは思っていますが。
井村 
最初に遠ざけるのはオナニー確定じゃないですか。「俺らこんな事やるし、ついて来たかったらついておいでよ」もちろんそれもアリだと思うんです。技術が高かったり、ステージパフォーマンスが強かったりしたら。でも、最初は演者が歩み寄るべきなんじゃないかなと。
__ 
演劇でも、最初の方で自分達はこうだ!とする作品よりも、空気を作って導入していく劇団って増えたと思いますね。

質問 山口 茜さんから 井村 匡孝さんへ

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さて、前回インタビューさせて頂きましたトリコ・Aの山口茜さんから質問を頂いてきております。「自分の寿命についてはどう考えていますか?」
井村 
あまり気にはしていないですね。いつ死んでもいいです。後悔するのは生きている間ですからね。死んだら後悔しない訳ですし。作品作りでも悔いが残らないようにしているので。

東洋サンバ

__ 
井村さんのやっていらっしゃるバンドは。
井村 
昔は東洋サンバという名前でやっていました。
__ 
素晴らしい名前ですね。
井村 
漢字+カタカナが好きなんですよ。あと、「北大路ロングスカート」。

ストイックな人

__ 
井村さんは、どのようなポリシーで作曲をされるのでしょうか。
井村 
出来るだけ無駄を省きます。入れるべきだからこそギターのソロを入れる。直感に従ってのみ作るのではなく、何となく曲を作らるのではなく、この小節はいらないなという意見が自分や周りから出てきたら省きます。
__ 
これはこの作品にとって余計であると峻別し、削る事。これは言ってみるとただそれだけの作業のように聞こえますが、作品そのものの価値を左右する非常に重要な作業だと思います。ある程度複雑な構成であればあるほど。では、井村さんにとって、そうまでして残すべきものの代表とは何ですか?
井村 
良い作品にしろ悪い作品にしろどんなものでも鑑賞すると、これは面白い、面白くない、ってどんどんストックが蓄積していくんです。すると、自分の中の直感と蓄積が実を結ぶことがあるんです。特定のテーマの音楽を作る時に情景が思い浮かんだりとか。
__ 
そうした感動を呼び込む為に、贅肉が不必要であれば削る事も必要かもしれませんね。しかし、それをする事でアーティスティックな意味での遊びがなくなっていってしまうかもしれませんね。
井村 
だからこそ、少しだけオナニーを入れるんですよ。5曲のうちの1曲を入れる。その曲を弾く時だけは自分も楽しい。理屈だけで作る曲もあるんですが、それだけでは面白くないので。人間らしい泥臭さをいつ見せるか、というぐらいの気持ちですね。そうした、本当に例外的な遊びを含めて総体としての作品を考える時に、結論として面白さを体系づけて語れる・作れる人が好みなんですよ。
__ 
その通りだと思います。ちょっと新しいお言葉ですね。構成だけではなく、配合的に創作を考えている感じですね。

なくなった腕について

__ 
先ほど、個人の趣味を表現する事について仰っていたんですが、一つ思った事があるんです。音楽のライブで一小節演奏した時、あるいは一つのセンテンスを公開した時。その時受け手に共通のコンテキストがある場合は、受け手は送り側の内面までいきなり洞察する事が可能になるんですよね。
井村 
まず、自分の作品を出す事によって、自分自身がどう扱われるかというのは凄く重要な事だと思っていまして。
__ 
ええ。
井村 
例えば性格。根暗か?明るいか?さらには、どんなものを美しいと思うか?そこまで受け手に感じさせれば、作曲家としては成功ではないかと思うんです。何もないのに表現をする事は出来ない。それはただの感情の垂れ流しで。友達同士でならそれでもいいですけど。きちんと受け取って頂くには、そういう水準では難しい。
__ 
それは、非常に手厳しい意見となりますね。もちろん、よりもっと良いものを作ろうと思う人にとっては基本的だが重要な事でしょうね。
井村 
夢枕獏という小説家が「最強の小説を書きたい」と言ってるんですよね。僕らも、それを目指すべきなんじゃないか。もちろん、ターゲティングはした上で。少なくとも、観客席に何も伝わらないような、格好だけの作品は作るべきではないんじゃないかと思うんです。批判されるぐらいの主役になりうるような作り手を目指さないと、と思います。
__ 
より良いものを作ろうとするのであれば、演者側は甘えを排除すべき。そうした体勢で作られたものは、表現者の内面を客席に伝える力を持ちうる。
井村 
ミロのヴィーナスのように腕が無い事で鑑賞者のインスピレーションを刺激する例がありますね。
__ 
まあ、偶然にですけどね。
井村 
あの腕は、肩から先に存在していない代わりに僕らの中で接点として働いているんですよ。理想的な話かもしれないですけど、そのようにして、鑑賞者と演者の感性が寄り添うようにしないと行けない。もちろん個人差はあるんですが、そのような努力をしないといけないんじゃないかと思っています。

アンケートの不要さ

井村 
批判の話の続きで言うと・・・演劇の人がお客さんにアンケート配るでしょう、あれ僕気になっていて。何か、必要なのかなと。
__ 
不要という事ですか?
井村 
作品が良かったら集客に出るんですよ。アンケートで評判が良かった所で、京都の小劇場で友達知り合いばっかりの客席で、どういう意味があるのかなと。アンケート用紙は無くても、拍手の大きさや、お客さんの表情で分かるのでは。
__ 
弁解という訳じゃないですが、演者側としてはやる気の原動力になり、観客席に存在するリアクションへのニーズを満たすメディアでもあるんですよ。まあ、感想欄のないアンケートもあったんですけどね。辻企画 という京都のユニットで、京都芸術センターで上演した際DM送付欄しかなかったという。
井村 
僕はそのやり方がスマートだと思います。感想を書きたかったら空いた所を使うわけですし。若造の、コンシューマーの意見かもしれませんが、客席からの応援で左右されないような、それぐらいのテンションを公演期間保っていないと、と思っています。
辻企画

京都造形芸術大学出身、作・演出の司辻有香によって2002年に旗揚げ。(公式サイトより)

おもてなし用 紙コップ

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今日はですね。お話を伺えたお礼にプレゼントがあります。
井村 
ありがとうございました。
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どうぞ。
井村 
何だろう(開ける)。タンブラーですね。
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紙製のものです。誰かをもてなす時に、紙コップでは物足りない時に。
(インタビュー終了)