演劇人にインタビュー 頭を下げれば大丈夫

吉田 凪詐

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あの日のリアル

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今日はどうぞよろしくお願いいたします。最近、吉田さんはどんな感じですか?
吉田 
3 Castsが終わって、コトリ会議の稽古ですね。セリフを覚えたり、そんな感じです。
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ありがとうございます。その3 Castsで吉田凪詐とご友人が上演された『サウナと電車でできること』が大変面白く、ぜひそのお話から伺えればと思っていまして。物語というかコントというか、色々なシーンのパッチワークというか…台本を書けない脚本家の泉さん、ミイラのように縛られた吉田さんと吉村さんが操るスマホで動かすラジコンが繰り広げるサーキット。それぞれあまりにもかけ離れた世界が交錯する瞬間にリアルさを感じました。
吉田 
リアル?
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舞台上のモニター、ライト、言葉を繰り返す猿のおもちゃなど、オブジェクトはそれぞれのルール通りにしか動かないのですが、それらが偶然ぶつかり合う事でとても強いエネルギーが発生するようでした。そこには嘘やファンタジーが介入する余地はないためか、リアルさを感じました。何を受け止めていいか分からず、勢いで笑わせられて、でも理の部分がよく分からず。そんな状況からサウナのシーンが始まり、自分の免許証を発見した出演者がついにお祭りを始める。
吉田 
ワーみたいな。
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私には、抑圧された心が機械の体を借りて暴走の時を待っていたように見えたんですね。いや分からんな、抑圧されてたのかな?まあ何キッカケかわかりませんが、祭りの時を得て人間のスロットの7が揃って大騒ぎになりましたよね。盛り上がって盛り上がって。
吉田 
今回は台本とかなくて。台本を誰かに書いてもらって僕が芝居をするのも普段とあまり変わらないと思って。各々の思いつきの集まりですね。そういうのが大事だと思ってます。準備した物語や社会に向けたテーマとかはやめておこう、と最初から話しあってましたね。
うさぎの喘ギ

2017年3月、作・演出の泉宗良と俳優の中筋和調によって旗揚げ。「現代人の実感の喪失」をテーマに創作を行う。現代的な平熱感を特徴とする会話劇をベースに、現代アート・インスタレーションに近い作品を発表する。作品だけでなく、作品を創る環境や過程自体も、より良いものを求めて模索中。 2018年1月、ウイングカップ8に参加、作品のテーマと演出の方法論・身体論との合致が評価され、優秀賞を受賞。 2022年、第12回せんがわ劇場コンクール一次審査通過。

コトリ会議

2007年結成。 一生懸命になりすぎてなんだか変なことになっちゃった人たちの生活を 部屋のすみっこだったり銀河に浮かぶ惑星だったり所かまわず描いています。 おもしろいものが好きな劇団です。 2010年にspace×drama2010という演劇祭で優秀劇団に選んでいただきました。 ますますこの劇団の作品はおもしろくなるなと心密かに確信しながら 毎日動きつづける劇団です。

RTAハムレットの話

吉田 
今回出てもらったうさぎの喘ギの泉くんはずっと作・演だけしていて、彼は、言葉で限界まで考えてそこから逃れるものを見たいタイプなんですねきっと。それ以上はどう言葉にしたら良いかわからないっていう淵まで。だから泉君は劇に言葉でルールを作るのが好きなんですかね。
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うさぎの喘ギですが、この間のRTAハムレットを拝見しました。大変面白かったです。
吉田 
例えばあれはRTAにおける時間という価値観が演劇の舞台にあったらどうなるのかっていう実験ですよね。あれを作る為に、大阪でRTAのイベントをやっているJAWS PLAYERSさんにお話を聞いたりイベントを見に行ったりしました。RTAはゲームクリアの早さを競う遊びです。なのでゲーム内のキャラクターも普通ではあり得ない動きをするんです。それを40分くらいみてると、元々キャラクターやゲームにあった物語や元々の機能が溶け出していく感じがしてくるんです。一体これは何だろうって。でも動いてるキャラクターの体みたいなものだけはまとまりとしてある訳です。これはなんなんだろうって。
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それはなんなんでしょうか?
吉田 
まあ、効率化を命令する時間から逃れる体ですね。RTAハムレットは少し倒錯してて、効率化を徹底しようとすることで効率化できない部分を炙り出しに行ってる訳です。泉くんの話に戻しますが、演劇でRTAをやって、上演時間がどれだけ短くなっても俳優の身体だけは時間に回収されない。これは事前に十分予想出来る。言葉で事前に設計図は綺麗に作れる。でも、設計図に書けない要素を突き詰めながら、現実には設計図しか作らない人間としての泉君自身はどうなのか?と僕が思ってたんですね。実際に言葉の淵に行ってみたらいいじゃんっていう。そう言った体を体験するという意味で、実際にRTAハムレットで出演者がやっていたことを泉くんにやってもらう形になりましたね。
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RTAハムレットはお芝居を使ってお客さんを楽しませるということが目的ではなくて、戯曲のイベントを早くクリアするためにお芝居が使われていたという逆転がとても面白かったです。冒頭の方で亡霊が呼びかけてくるというのは、セリフをカットすれば簡単に実現できると思うんですけど、そうしなかったじゃないですか。必ず、人物が反応しなければクリアにはならない。
吉田 
そうですね。
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上演の運びとして、正式な手続きを持って上演しなければクリアにはならない。
吉田 
実際はRTAも色んなジャンルがあり、何をゲームクリアとするかの定義もそれぞれですが。例えばプログラムをいじって根幹から破壊する人もいる。でもRTAハムレットでは、ハムレットのRTAなので、戯曲を最初から最後まで全部やるというのは必要なんじゃないかという判断になって、台本は編集しませんでした。やっていくうちに自然と短くなって行きました。言い訳ですが、大事な事です。

吉村さんと泉くんと

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一方、吉村さんは非常に凶暴なオーラを発していましたね。
吉田 
言葉で限界まで考える泉くんとは違うタイプの人ですね。吉村さんは一人で「劇の虫」というユニットをやられてて、僕が唯一みた事があるのが『宴会芸チャンス』っていうやつで。設定?が宴会芸でお客さんの熱気を上げてそれがパチンコみたいに大当たりのチャンスになるっていう。で、会場がおでん屋さんな上に夏だったと思うんですけど全然エアコン効いてなくて(笑)。そこで吉村さんがいろんな芸をして、まあ、芸というかほぼ自分を追い詰めるだけなんですけど(笑)。で、事前にメダルとか配られて、ギャンブルだからかなーとか思ったら、これで投銭もらうの心苦しいからそれを僕に渡してくださいみたいなこと言い出して、意味わかんない(笑)。けど、言葉とか言葉とかじゃないを突き抜けてますよね。しかも一人でやってるし。よくわかんないけどこの人居る!っていう力が強い人で、尊敬します。
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泉さんと吉村さんの個性を吉田さんがまとめるという作品だったんですね。
吉田 
まとめてもなく…やすやすと人の言うことを聞く人たちではないので。「こうしてほしい」とかもあまり言ってないんですよ、セリフも書いてないし。ブロックみたいなまとまりのシーンがあってそれを組み替えて作ってる感じでした。脚本を書くために何度もお風呂に入るというのは泉君が喋り出した事だし、サウナとか風船を割るとかは僕が始めたんですけど、最後にヘルメットをぶつけ合うようなシーンは吉村さんが勝手にやり出した事だし。舞台上にやたら光るものがあるのは即興で稽古してる時に吉村さんが「光ってるっていうのはわかりやすいって事じゃないですか!」って言い出してそれに迫力があったから(笑)。車に顔がついてるのは僕が映画『カーズ』で車に顔がついてるのがふと意味わかんないなと思ったから(笑)。理由はないけど、並べると何かになるし、案外それに体もついていく。作家でもないのでそういう作り方くらいしかできないし、それだなみたいな。作品は誰かがまとめないといけないとか言われますが、そんなことしなくていいんじゃないかなと思うし。どこかで形が見えてくる。最初に出てきたものを並べる。それが一番いいんじゃないかなとか。お客さんにどう見せようか判断するタイミングが僕は最後の方に一回あるだけなんだなと思いました。
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まとめてしまうとメッセージになってしまうから避けた?
吉田 
まとめるというのはある価値観を作ることだと思います、それが生まれないようにあらかじめルールを作るというのが最近流行ってることだと思うんですが。それはちょっと怪しいと思っていて。理解しにくいかもしれないですけど、それは少し早まりすぎなのではないかと。焦ってる。
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なるほど。
吉田 
ルールとか法律は、人間の生身には無関係ですよね? ルールやポリシーは参照点でしかなくて、生物としての自身には本来関係ないということが分かっていないとルールというのは運営できないということを考えていて。お互いの顔を覚えている十何人ぐらいだったらいらないんじゃないかなと思ったりします。
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よく分かりますよ。
吉田 
そんなことも言ってられないなという状況もわかるんですが。そもそも法律やルールは言語の世界のもので、実際の生物としてのあなたや私を対象にすることはできないはずだと思うんですが、そこがぐちゃぐちゃに絡み合ってる人が多いですよね。
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ポリシーに関しては、正直私自身も規制されるべき側であったし、また規制によって守られるべき側でもありました。
吉田 
それは誰でもそうだと思います。そうなってしまったという感覚かもしれませんが…
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「今までに罪を犯したことのない者だけがこの者に石を投げなさい」ですね。「良くないものを目にしたから規制して消そう」という行動は、「向き合う」のでも「寄り添う」でもないです。アーティストの醜聞とその作品については、全員一生悩む問題です。

ファイブセブン

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最後のシーンでは、人体を使ってのスロットマシンを決行していましたね。スリーセブン以上のファイブセブンを揃えていましたが、あれは一体どういうことだったのでしょうか。
吉田 
よくわかんないですよね(笑)特に意味もないし、ここまできたらこうなるよねって言う、形?みたいなものの方が大事です。そういえば、スロットって自力で絵柄を揃えられないんですよね。レバーを入れてリールを回したらその時点で当たるかどうかコンピュータの制御で決められてるんですね。777って人間は揃えられないんですよ。自力でやっているかのような気が後から付いてくるだけ。
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商品の仕様という事ですね。
吉田 
それにスロットには「天井」っていうのもあって。天井っていうのは、どんだけ当たりを引けなくてもこんだけゲーム回したら絶対に一回当たります、みたいな仕様の事です。携帯ゲームのガチャで何円分課金したら最後には好きなキャラクターとかスキンとかが貰えるのと同じです。そう言った要素も相まって引き際がわからなくなるんですね。全部運なのに自分なら何とかできるとか。で、泉君が「人間でスロットをやるのであれば天井まで回したい」と言ってたので、俳優にもある種当たりの演技ってあるよねってなって、それを引き出す演出家の投機を受ける体があって…
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それを舞台上で再現したかったんですね。
吉田 
それを人にやるのは暴力的ですよね。そう言った現代で言う、ガチャとかギャンブルの幸福感を元にした依存関係は多いと思います。しかも、人間の意思が原因じゃないと考えるなら、アホみたいな繰り返しになりますが、人間の意思で逃げることはできないですよ。だから宇多田ヒカルの『Automatic』なんですね(笑)。一回あの歌の歌詞をスロッター、パチンカー視点で聴いてほしい。嫌かもだけど。当時はあの歌詞のドライさがカッコいいとされて聞かれてたんですかね。僕は今もカッコいいと思ってますが。あの「人間の意志なんてさ…」みたいなのが形を変えて社会に受け継がれてるんでしょうね。
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人間は個体差が大きいにもかかわらず社会を作ることで営んできましたが、フラストレーションは必ずたまるであろうと思うんですね。それに対しては祭などのイベントを作ることで計画的に解消しているし、スロットも必ず天井が来るようになっている。我々は管理されたカオスの中を生きているのではないか。首相が暗殺された瞬間、変わったのは歴史ではなく今後のスケジュールだったのではないか。管理は個人の思惑や人治では捉えられない、と、吉田さんのお話を伺っていて思いました。
吉田 
どうなんですかね。僕は祭りやイベントで人が管理されてるとかは疑わしいと思っていて、世の中の人は思ったよりも、そんな風に動いてないんじゃないですか?いや動いてる人はいるんですけど、それはネットの情報を仕入れるのが上手い人やローカルなエリートだけ、みたいな。プラネタリウムが各地にぽこぽこある。そんなイメージです。各々が自分が持っている媒体の情報をつまみ食いしているだけだから、政府とか国の管理によって世の中が動いているとかは結構怪しいなと思います。それより、スマートフォンとか狭い電車とか、身近なデバイスや建築の環境が人をコントロールしてるんじゃないかと思います。それぞれの集団がそれぞれのイベントや祭りを好き勝手に解釈してる状況を一括で管理できる様な、ある特殊な意志を人間に持たせるのは難しいと思いますし、現実はそうなってないと思います。意志よりセッティング。だから権力のコントロールをコントロールするにはもっと物理的な世界や人間の体について考えないといけないんじゃないかと思います。こういう気持ちをみんな持とう!みたいな集団形成は続かないと思います。

質問

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前回インタビューさせていただいた、美術家の黒木結さんから質問をいただいてきております。「予算が無限にあったら何を作りますか」。
吉田 
自治体とかパトロンみたいなのがお金を無限に出してくれるという事ですかね?だったら、そういう人達がいつお金を出すのをやめるかという勝負をします。でも演劇は作らないですね。
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予算が無限にあるのに?
吉田 
最近なんだか作品を作るということに、諸手を挙げて良いことだとは思えない気持ちがあって。作品を作るということは言っちゃえばオリジナルのコピーを作るということですよね。表現とか再現っていうのはそうですよね。だから、そういった意味の作品を作ると事態が結局よく分からなくなってしまうんじゃないかと思って。さらに作品について喧々諤々と皆が喋り合うことによってさらに事態がわからなくなるとか。そうして作品は現実にいた人間の死であったり事件だったりからかけ離れてしまいそうで。だったら、渦中にいるじゃダメなんだろうか。だから、「作品」じゃないですね。渦中を作りたいんですねきっと。
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作品はコピーであり、その再現をするほどに現実から遠ざかると。
吉田 
3 Castsはそうですね。上演を渦中にすれば良いという考えでした。演技も何かのコピー…うーん。再現ですよね。演技する事が近頃、本当になんなのかわからなくなってきています。すごく後ろめたい気持ちもあるし、踏ん切りもつかないんですが、誰かや役の気持ちに寄り添うとかインストールしたりとかじゃなくて、結局は別の振る舞いの可能性を見せるというのが俳優の行いなんじゃないかなと思ってます。その演技の力のどっちかだけを抽出するとかはできない気がしています。とにかくやばい力だなと思っています。みんな演技するっていうパワーを舐めてる。例えば、通勤ラッシュの人の流れの中を逆行するとか、立ち止まったり、また歩き出したり。そのまま家帰って休みを取ったり。規定された主流の振る舞いから、別の振る舞いもできるんだということを作り出すのが演技の力なんじゃないかとか思います。世の中の主流は、言い方悪いですけどテーマパークのキャストみたいな演技の使い方ですよね。俳優は夢を壊さない。でもその反対の方向への力もあって、演技ってそういうやばい力持ってるっていうことを、みんなに思い出して欲しいと思っています。

BRUTUS「珍奇鉱物」

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今日はお話を伺えたお礼にプレゼントがあります。どうぞ。
吉田 
え、すごい!嬉しい。これいいですね。石をみても石だなあとしか思わないからなあ。
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写真でこそ伝わる美しさってありますよね。
吉田 
いや、「珍奇鉱物」っていうのがいいですよね。石は何も思ってないのに勝手に珍奇とか言われて。でも、その俗っぽさもいいですよね!人間のそんな事「やってしまう」感が滲むいいタイトルですよね!
(インタビュー終了)