演劇人にインタビュー 頭を下げれば大丈夫
photo by shimizu kana
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黒木 結

美術家

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鑑賞のプロセス

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今日はどうぞ、よろしくお願いいたします。10月に上演された「鑑賞のプロセス:フランシス・アリス」、大変面白く拝見しました。今回のインタビューが実現して大変嬉しく思います。
黒木 
ありがとうございます。
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まずは黒木さんの人となりから伺えればと思います。黒木さんは京都市立芸大を卒業されているということですが、在学中から舞台芸術には関わっておいでだったのでしょうか。
黒木 
いえ、在学中はパフォーミングアーツではなく彫刻専攻でした。コンセプチュアルアートの方に興味が移っていくのと同時に、表現方法の幅を広げていきたいという思いから作品ごとに形態が異なっていくようになりました。
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コンセプチュアルアートというのは、どう説明されるものなのでしょうか。
黒木 
例えば彫刻が、石などの素材を使ったモノが最終的に決まっているのに対し、コンセプトがあってそれをどう表現するのかという考案を扱うというものになります。また前者は作品が彫刻史の中で位置付けを得、制作の理由を持つものですが、後者は彫刻や絵画といった従来の芸術形式に当てはまらない、美術そのものについて問い直す可能性を持ちます。
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先日、大阪で開催されたレトロニムの展示「ビジター・キュー」での黒木結さんの作品、「クイア/女の議会」もコンセプチュアルアートのひとつだったのですよね。私が拝見したのは黒木さんを含む3人の方が最初はベランダに行って話していて、しばらくしたら部屋の中のリビングテーブルで話し始めるというものでした。印象的だったのは、テーブルのお誕生日席に位置するところに設置されていた座面のない椅子でした。コンセプチュアルアートとはつまり、表現する内容と、そのジャンルを定義するものなのかな、と思っています。黒木さんは、どういう経緯でコンセプチュアルアートにご興味を持たれたのでしょうか。
黒木 
学部生時代に社会的な問題であるとか自分とはちょっと距離の遠いものを題材にすることが結構あって。物を作っている期間は模型状態のものを目の前にすることが多かったんですね。自分が思っているものを完成させれば、興味を持った問題を作品化して眺めることは出来る。でも、その先にあるものにどのようにアプローチするのか、アクションをしていくのかというのを本当は考えたいことなのに、模型というワンアクションが必要になる。だから、作品が物質を持つことよりも、実際に私がパフォーマンスするなど行動することが多くなっていき・・・
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なるほど。
黒木 
「クイア/女の議会」は、アリストファネスが描いた「女の議会」から着想を得て制作したものでした。岩波文庫を模したムックを作ってそこに書かれている質問ついて話し合うというパフォーマンスだったんですが、お客さんはそれを手に入れることで展示の外でも再演出来るという。
黒木結

2017年京都市立芸術大学美術研究科彫刻専攻修了。身近な問題を自分や社会の視点から分かろうとしたり、答えを見つける機会として、身近な人の協力を得ながら作品制作や展覧会企画などを行っています。展覧会企画・作品制作以外に、ご飯を作る代わりにご飯を食べさせてもらう「FOOD」という活動や、「おばけの連判状」という共同制作も行っている。

ビジター・キュー

山中suplexの別棟「MINE」キュレータープログラムVol.4。

座面のない椅子

黒木結の作品の展示していた場所に置いてあった座面のない椅子は、黒木が制作した作品の一部ではなく、展覧会の企画者であるレトロニムが設置したもので、この展覧会では、黒木以外の各出展者の展示場所にも「観客席」が設置されていた。

枝分かれ

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改めて、「鑑賞のプロセス:フランシス・アリス」がすこぶる面白かったです。黒い布に白い塗料で描かれた抽象的なグラフィティが最初は中央に洗濯物よろしくぐちゃぐちゃとまとまっていて、それを3人の人物がほぐしていくというようなパフォーマンスだったと思います。一人(黒木結さん)が指示を出し、一人(岩越さん)が指示に沿ってグラフィティを並べて、残りの一人(shimizuさん)が写真撮影するという体制でしたね。フランシス・アリス作品から受けた印象というよりも、現実の生活から生まれたインプレッションが詩句としてまとめられて詠みあげられ、グラフィティが裏返されたり配置されたり、最終的にはグラフィティは円を描くというものでした。そもそも、上演中の指示や撮影などの段取りは、それ自体が何らかの構成を持つプログラムのようなものとして作られたものだったかが分からない。それともただの現象の展開だったのか?それを我々はなぜ見ているのか。そして、フランシス・アリスが世界中で制作した作品が日本の一地方都市で返歌として作品が結実している、しかもほぼ全く別のアートとして成立したというのがとても刺激的でした。
黒木 
大まかな流れとしては、私が指示をする人として機能していて。段階的には、作品を初めて見た時の自分の姿勢の表現を岩越さんが代わりにやってくれるという体制だったんですが、岩越さんは岩越さんで独立した一人の人間として舞台に存在していました。
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別の個体ではあったんですね。
黒木 
思考の流れは私のものなんですけど、内容は岩越さんのものに置き換わってるという構造にもなっています。並べるグラフィティを選ぶのも岩越さんでした。私が最後に自分の考えをもとに円を作るような方向性のプロセスなんですけど、岩越さんの考えは別にある。つまり、岩越さんの鑑賞のプロセスを作ってくださいというフェイズを入れてます。基本的に岩越さんの発している言葉は、岩越さん自身から出ている鑑賞の言葉なんですけどね。でもそういう体制で作っていると岩越さんの鑑賞体験が私の方にも移ってきていて。結果的に岩越さんの持つ、線の連なるイメージと、私の円のイメージが重ね合わせられたり、同じような考え方、表現の仕方になっていったり。
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台本はないということですね。そして同じ作品の感想が影響し合うということですが・・・、私にはその様子は「コピー」や「枝分かれ」というより「転写」の方が近いと思いました。さらに、一つの円にまとまったと思いきや実はまだまだ発展していっているのであろうと思います。それぐらい、鑑賞体験というのはまとまりながらもとめどなく散っていくのですね。最後の円は黒魔術の魔法陣のようでもありましたし。
黒木 
作品の鑑賞体験というのは人がそれぞれ持ってると思うんですけど、作者が言いたいことも別で存在してるなと思っていて。鑑賞のプロセスについては私が制作をしているので、「二人それぞれに鑑賞体験があるよね」ということを言いながらも結局まとめてるのは私・・・というメタ的な構造がすでにある。そこに対しての自覚は持っていたと思います。すごく自由に物が見れるよねという側面もあるけれども、作品のことをちゃんと見ようと思った時に、筋として作者の意思というものはあるのではないか。めちゃくちゃ自由に物を見れるかというとそうでもないよね、というのは捨て置きたくないなと。
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著者人格権ですね。
黒木 
自由に見過ぎていると作品の本質から離れていってしまう。それがいい時もあるけど、どこかでは戻ってきて欲しいなと思っています。
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オリジナルは一つですからね。
黒木 
「その筋を無視しない」という姿勢は、不自由なものではけしてないと思っています。

鑑賞が溶けている

黒木 
とりわけ現代美術とされている作品は見方がわからないというか。自由に見てもいいという事もあるけれども、それはそれで難しくないかなと思っていて。私だったらどう見るかなというのを提示していったら他の人たちも作品の鑑賞が捗るのではというところから「鑑賞のプロセス」は始まりました。なので今回の作品についてはフランシス・アリスがどのような背景で作品を作ったかに関してはあまり言わないことにしてました。どちらかというと鑑賞をどのように進めていたのかにかなりフォーカスを当てていたと思います。
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出てきた詩句の中は日常生活の色合いがとても強いものが多かったと思うんですが。
黒木 
それについては結構意識的でした。縁もゆかりもなじみもない海外の作家の作品と、自分の日常生活がリンクが出来るんだよな、というのを見せたかったというのがあります。
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鑑賞の体験が日常生活に溶けていくというさまを演劇にするんだったらインスタンスを使うと思うんですね。「私は○○で、フランシスアリスの作品を見て、こう思いました」みたいな台詞と、○○さんの周囲の人間関係がどう変化していくかみたいなのをやると思うんですね。でもそれは一切やらなかった。
黒木 
そうですね。
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これでどう思いました、すらも言わなかった。何なら絵と、ちょっと短歌で表すに留めていた。フランシスの作品を語るとかもしないし、日常生活の風景を描くとかもない。
黒木 
はい。
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何をしたかというと並べた。
黒木 
ですね!
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鑑賞体験をモノローグを使わずただ加工のプロセス、いえ、もはや推移のように提示していたのは、もはや戯画化のように思えます。あえてそういう事をしてみせたのはギャグなのではないかと思っています。何故ならあまりにもその通りなので。我々は作品をドラマチックに消費している訳ではないので・・・
黒木 
詳しく話そうとすればいくらでも方法があったというのはそうなんです。でも鑑賞体験を忠実に再現すると、どうしてもはっきりとした言葉として訴えることにはならないというか。断片的に色々なものが浮かんで、それらが結びつけ合うというのの繰り返しを具現化しようとしたらあの形になってしまった、みたいな。ラストの言葉を得るまでに何年も掛かってしまう、なかなか具体的な言葉にたどり着かない、断片的になってしまってるけれども、そのディテールがあのカルタみたいな形になっていると思います。
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そうして出来たこの作品、鑑賞による印象が返歌に加工されていくのを見守るというものでしたけれども、構造が強固であればあるほど、「創作」という行為そのものの力強さを感じさせてくれますね。

消せない

photo by shimizu kana
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作品を一つ見たらその感想は必ず人の頭の中に残ると思うんですね。物質界では結ばれた図は消失しないですしね。
黒木 
消すのはめちゃ難しいですよね。消せないですよね。消したいと思ったこともあんまりないかもしれないですね。
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消す方法は今のところ誰も思い付いていないですね。まあ、そもそも消せないし、過去に戻れたとしても同じことをもう一度するでしょうしね。

ファインダーイン

photo by shimizu kana
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舞台から見た観客席はどうでしたか?
黒木 
私、舞台から観客席を見なくてもいい作りにしたんですよ。岩越さんはすごい見てたんですけど私は後ろ向いてました。
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あれは一度見ると、まるで暗い海ですね。怖いです。出る幕じゃない場合は特に。
黒木 
暗い海。そうかもしれないですね。岩越さんを一人でくらい海に・・・shimizuさんもいたので、完全な孤独ではなかったと思うんですが。
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あの舞台ではカメラマンさんはどんな役割があったのでしょうか。記録係?
黒木 
カメラマンは、観客の視点を具現化した人として存在してほしいとお願いしました。
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お客さんの視点が舞台上に牽引されてるということですね。
黒木 
絶対にここを見てほしいというわけではないけれども、ここは見そうだ、という絵を切り取るのがカメラマンのshimizuさんにお願いしていた事です。本編とは全く関係ない、影がキレイだとかそういう観点から撮ってたり。すごく良かったのは、shimizuさんが「岩越さんは絵を絶対に指ささない」って。それは私全く気づかなくて。本当に素晴らしいと思ったんですよね。気づいたshimizuさんも、作品をそういう風に扱ってくれている岩越さんも。意識的なのか無意識的なのかは分かりませんけど。

質問 友井田亮さんから黒木結さんへ

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前回インタビューさせていただいた友井田亮さんから質問をいただいてきております。「あなたにとって一流の役者とは何ですか?」
黒木 
初めて考えるかもしれないです。一流の役者・・・めちゃ感覚的な話なんですけど、見ている時には「この役は誰がやってもいいんやろうな」と思わせる感じ。実際には無理、みたいな。これ、伝わるかな・・・ピッタリのはまり役を演じていても普通だったりする、みたいな。
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誰がやっても同じというわけではないけれども、自然というか受け止めやすいというか。そこに行き着くにはものすごい研究が必要そうですね。なぜなら人は反応にまで演技ができないので。
黒木 
そうですよね。
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反応の演技を作ることができるんですけどそれは手続き型の演技なので、そのものを作るのはものすごく難しいでしょうね。

中鉢皿

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今日はお話を伺いたお礼にプレゼントを持って参りました。
黒木 
ありがとうございます。え、凄いですね。はーっ、器だ!めっちゃいいじゃないですか。え、凄い。ありがとうございます。めちゃめちゃ嬉しいです。
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お使いになる前に水を張る必要があるそうです。電子レンジも使わない方がいいと言われました。
黒木 
結構料理するので。器が好きなんですよ。
(インタビュー終了)