時間感覚と『演劇最強論』の出版
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- 今日はどうぞ、宜しくお願いします。最近、藤原さんはいかがでしょうか。
- 藤原
- えっと、毎日、刺激的です。
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- 毎日刺激を感じている生活というのは、ご自身にとっては良い状態でしょうか?
- 藤原
- うーん、たぶん。二十代の頃、本当に何もしてないニート同然の時期があったので、あの頃から比べると全然いいんじゃないかな・・・・・・。
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- 日々、どんな刺激を受けるのでしょうか。
- 藤原
- 例えばそこの駅前の立ち呑み屋に行って、他のお客さんから昔の話を聴いたりとか。この辺りは土地の力が強いんですよね。人の記憶が積み重なって歴史に連なっている。やっぱり面白いのは、人の話を聴くことかな・・・・・・。最近東京から横浜に引っ越してきたんですけど、東京のあの、膨大な情報を猛スピードでやりとりするモードにうんざりしていたという、厭戦気分もあります。だからここに生きてる人たちの話を聴いてると、少し精神がまともになれる気がしますね。で、今は観劇予定がない日は横浜に引きこもって、昼間は編集や執筆の仕事をして、夜は飲むという。徳永京子さんとの共著で『演劇最強論』(飛鳥新社)という本を出版することもありまして。少し遅れてますけど、もうじき刊行できますので楽しみに待っていてください。
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- つまり、情報に触れる機会をご自分でコントロール出来ているという事ですね。
- 藤原
- あえて切断するということですかね。便利さや流暢さといったものから身を引き剥がしたくなった。僕自身の年齢や志向性がそうさせるのもありますけど、近年の演劇界のスピードもちょっと早すぎたんじゃないかなという思いがあります。もう少し、作り手も観客も落ち着いて観たり、聴いたり、考えたりをしてもいいんじゃないかと。もちろんたくさんの作品を浴びるように観まくるのも大事なんですけど、ひとつの作品を反芻することによって生まれてくる言葉や感覚もあるんじゃないか。そこは僕自身、反省するところも少しあります。例えばtwitterに舞台の感想をすぐさま書く。その瞬発力は自分の強みだとも思うし、それがなければいろんな仕事の依頼が来ることもなかったと思います。だけどそれが、今の演劇界の短期決戦の狂騒的な雰囲気に荷担することにもなってしまったかもしれない。だからあえて、ゆるめる。遅れさせる。僕ひとりがそうしたところで大した意味はないですけど、バタフライ効果的にその「遅延」がゆっくりひろがっていけばいいな、という気持ちはあります。何かをやるにしても、最低でも3年、できれば5年くらいのスパンで考えたい。そのくらいの時間感覚で初めて見えてくるものもある気が、今はしています。
演劇最強論
徳永京子 (著)。藤原ちから (著)。飛鳥新社。
震撼
- 藤原
- そもそも僕が演劇に深くコミットするようになったのは、元・快快 の篠田千明に呼ばれて「キレなかった14才りたーんず」という企画公演にパンフの編集者として呼ばれたのがきっかけです。こまばアゴラ劇場に毎日貼り付いて、ほぼ全公演をいろんな角度から観つづけたことで、演劇というものの多角的な魅力が見えてきた。なんか、感触をつかんだんですよね、空間の。作り手たちの熱気のぶつかり合いを近くで目撃できたのも大きかった。ただ、観客動員数はすごくあったのに、あの頃の彼ら(6人の演出家たち)は演劇界ではまださほど認められていなくて。「若いやつらが内輪でハッピーなことやって騒いでる」みたいに軽んじられる雰囲気があった。僕はそれらに対して「彼らは彼らなりの若い感性で世界を切り取っていますよ」と証明する必要を感じたんですよね。ただ、そのためには言葉が必要だったし、まずはたくさん舞台を観ないとお話にならなかった。そしたら単純に、いろんな面白い舞台に出くわしていって、気づいたら戻れなくなっていたという(笑)。エンリク・カステーヤさんとの出会いとか衝撃的でしたね・・・・・・。まあこの話は長くなるので今はやめておきます。
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- 若い才能。認められるべきですね。
- 藤原
- その過程でマームとジプシー の藤田貴大くんと出会っちゃったのは人生が変わるレベルの大きな出来事でした。『たゆたう、もえる』という作品を、現『シアターガイド』編集長の熊井玲さんに誘われて千秋楽に駆け込みで観に行って、びっくりして。いったいどんな人が作ってるのかと思ったらすっごい線の細い、でもエキゾチックな目をした美青年が現れて、やばいこれはマジで天才に遭遇してしまったと。震撼しましたね。それで家が近かったこともあり、一時期はほぼ毎日くらいのペースで飲んで話してました。村上春樹ふうにいえば、2010年の夏に2人で飲んだビールの量はプール一杯ぶんくらいに相当すると思いますよ(笑)。もちろん演劇の話もしたけど、映画とか小説とかの、あれがヤバイとか凄いとか・・・・・・。彼もやっぱり最初は認められてなかったし、傑出した才能があるからこそ、周囲の反発も凄いものがあったと思います。でも藤田くんはタフだったなー。彼とその仲間たちが、演劇界の空気をずいぶん変えたと思いますね。
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- 素晴らしい。
- 藤原
- 演劇界にかぎらず、世界は変わりつつあるんだなとひしひし感じてます。震災の前から、戦後日本を支えてきた社会の様々なシステムは斜陽に差し掛かっていた。それが震災で完全に露呈されたと思います。ハリボテだったじゃん!、っていう。逆に言うとこの混乱期は、若い世代にとっては大きなチャンスだとも思う。僕は人生のわりとそれなりの時間を酒場で過ごしてきたので、オッサンに説教されることなんて日常茶飯事だったんですよ。でも震災後、オッサンが自信を喪失したのがハッキリと分かりましたね。むしろ謝られることすらある。こんな日本にして悪かった、とかなんとか・・・・・・。とにかく、いい仕事をする若者がちゃんと認められるのは健全なことだと思う。
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- いい仕事をする若手。
- 藤原
- 問題は、僕自身がもはやそれほど若くないということですね(笑)。だから単に若ければいいとも思っていない。大人には大人のやり方ってもんがあると思う。
快快
2004年結成、(2008年4月1日に小指値< koyubichi>から快快に改名)。集団制作という独自のスタイルで作品を発表し続ける、東京を中心に活動する劇団。パフォーミングアーツにおける斬新な表現を開拓し「物語ること」を重視した作風で今日の複雑な都市と人を映し出しながらも、次第に幸福感に包まれゆく人間の性をポップに新しく描いてきた。(公式サイトより)
マームとジプシー
藤田貴大が全作品の脚本と演出を務める演劇団体として2007年設立。同年の『スープも枯れた』にて旗揚げ。作品ごとに出演者とスタッフを集め創作を行っている。08年3月に発表した『ほろほろ』を契機にいくつもの異なったシーンを複雑に交差させ、同時進行に描く手法へと変化。09年11月に発表した『コドモもももも、森んなか』以降の作品では、「記憶」をテーマに作品を創作している。シーンのリフレインを別の角度から見せる映画的手法を特徴とし、そこで生まれる「身体の変化」も丁寧に扱っている。(公式サイトより)
予感する
- 藤原
- 今、F/T12 の関連企画のひとつに、演劇ジャーナリストの岩城京子さんが企画したブログキャンプというのがあって、10代・20代の人たちが5週間にわたってブログを書くんですけど、そこにチュートリアルメンバーとして関わっています。僕も若い劇評の書き手を育てなくちゃ、という切迫した必要に駆られていたので、岩城さんに声をかけてもらってよかったです。やっぱり若いアーティストや時代と伴走していける批評の書き手、特に女性の書き手が必要だと感じていたので。
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- というと。
- 藤原
- 批評したがりな男子は結構いるんですよ。まあほとんどは先行批評家のエピゴーネンっぽい感じだし、結局自分の自意識にしか関心ないんじゃない?、と思えるものがあまりに多くて辟易するんですけど。でも一方で、創作の現場は切実に批評を欲していて、例えば女性アーティストの作品をきちっと批評出来る人が相当少ないという問題がある。ちょっとでも作品に生理的なモチーフが登場すると、「あ、女だからやっぱりね」的な解釈に回収されがちで。そこには未来は感じられない。でも偶然なのか、岩城さんのキャラクターや思想による必然なのか分からないですけど、今回のブログキャンプは参加者の8割以上が女性で、これは何か新しい時代が来てるぞ、っていう予感はありますね。
フェスティバル/トーキョー
フェスティバル/トーキョーは、東京芸術劇場など池袋界隈の文化拠点を中心に開催する、日本最大の舞台芸術のフェスティバルです。2009年2月に誕生し、過去4度にわたって開催され、75作品、609公演、のべ2,555名の出演者・スタッフ、そして22万人を超す観客/参加者が集いました。 国内外から集結した先鋭的なラインナップとフェスティバルならではの参加型プログラムで大きな話題を集め、東京、日本、そしてアジアを代表する国際芸術祭として毎年開催されています。(公式サイトより)
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- 私はここ3年ほど、一年に一回は必ず東京に来て演劇をみる旅行をしています。やはり、東京で作った作品にしか宿らないスピード感は感じるんです。これは気のせいではなく。京都はその環境から、宿命的に一つの作品や劇団に長い時間を掛けて向き合う事が出来る、というかそうせざるを得ない。それはきっと、東京にはない特性だと思っています。芝居のテーマが難しすぎて公演中止したケースが何件かあるぐらいです。
- 藤原
- へー。東京だとちょっと考えられないですね・・・・・・。
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- 演劇人口が少ないという事が時間の流れの遅さに直結している。では、翻って東京は本当に向き合う時間なるものが短いのでしょうか?
- 藤原
- んー、観客も次々作品を消費して、「あー、これってこういう感じね? ○×に似てる」って確認するような作業に陥ってないかなあと。それと逆に作り手が焦っているということもあると思います。「失敗出来ない」と思ってる人が多いんじゃないかな。
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- 失敗が出来ない世界。なるほど。
- 藤原
- 公演の感想にしても、紙のアンケートであれば、手書きの痕跡が残ってしまうこともあって、作り手への最低限の敬意は払われていたと思うんですよ。ところがtwitterだと、リスペクトを欠いたまま適当に書きなぐったような感想まで含めてすべてが可視化されてしまう。あるいは空虚な賛辞ばかりが並ぶ。それはアーティストにとってはキツイ環境ですよね。気狂いますよ。ある意味、感性を摩滅させないとスルーできない。
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- 検索すれば一瞬で出てきますからね。
- 藤原
- このままの環境だと、みんな保たないと思います。特に東京は異常。そういう状況からはまずは撤退ですな。
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- きっと、東京に演劇人口が異常に多く、それが流行とか、シーンが伝わって消費?されるスピードを上げているのかなと思うんです。いくつかの劇団や一つの作品のみを意識するというのは、環境からしてとても難しいであろうと。
- 藤原
- 東京では毎週末、イベントがあちこちで勃発していて、観客は膨大な情報からの取捨選択を常に迫られている。これだけでも多大なストレスだと思います。やっぱ人間、そんなにたくさんの情報は受け取れないと思うんですよね。一定量を超えるとシャッターを降ろしちゃう。未知のものへの好奇心を失ってしまう。それは世の中をつまらなくしてしまうんで。最近編集者として考えているのは、その情報量やノイズをいかに的確に縮減するか、そしてそこからどんなアクロバティックな回路をつくるか、ということです。
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- 藤原さんのように、物理的にその量をコントロール出来る立場は理想なのかもしれませんね。
質問 ウォーリー木下さんから 藤原 ちからさんへ
質問 糸井 幸之介さんから 藤原 ちからさんへ
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- FUKAIPRODUCE羽衣の糸井さんからも質問です。「いつもよりひどい寂しさを感じた時はどうやってそれを紛らわせますか?」
- 藤原
- わ。糸井さんっぽい質問(笑)。えーと、僕は大抵、酒場で飲んで紛らわせますけど、酷い時には、深夜の誰もいない街を踊って歩きますね。たぶん徘徊癖がある(苦笑)。でも夜の街でひとりで踊るのってすっごく気持ちいいんですよ。
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- 素晴らしい。
- 藤原
- こないだは陰気な酔い方をしてしまって、ひとつ丘を越えた向こうにある巨大墓地に自転車で行っちゃって・・・・・・。死んだ人たちのことを思い出したら憤りというか、よく分からない感情が込み上げてきてしまって、これは死者に近いところに行って気持ちを鎮めるしかないと。でもこれって死者の眠りを妨げるというか、冒涜なんじゃないの?、と途中で思えてきて、ごめんなさいごめんなさい、って祈りながら墓地の中を駆け抜けました。真っ暗闇で自転車のライトだけが頼りだから、今まで生きてきた中でいちばん怖かった・・・・・・。
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- 墓に入っている人にとっては日常のスパイスになったんじゃないかと思うんですけどね。
- 藤原
- いやいや(苦笑)、申し訳ないです。たぶんもう二度としないと思います。
質問 野木 萌葱さんから 藤原 ちからさんへ
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- パラドックス定数の野木さんからも質問です。「例えば、どういう時に風情を感じますか?」
- 藤原
- どうも僕は、うら寂れた感じが好きらしいんですよ。場末感というか。夏に青春18切符でぶらぶら旅してたんですけど、たまたまたどり着いた山奥の築100年くらいの湯治宿が本当にボロッボロで、でもお湯は最高で。つげ義春の漫画に出てきそうな場所でしたね。実はそういう感覚って、この喫茶店の目の前にある広場にも感じてるんです。
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- 最初から公園として作られた訳ではない、余ってしまった、無造作な広場。何か、ささやかなスペースですよね。
- 藤原
- ちょっと可愛いらしい感じがするでしょ? 愛嬌があるじゃないですか。
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- 想像力が膨らむという感じですかね。
- 藤原
- 初めてこの町に来てこのちっちゃい広場を見た時にピンと来たというか。この窓から広場を眺めてるのは本当に好きですね。時間が止まっていて、それでいて流れている。この町は高校生、それもほとんど女子と老人しかいなくて、ギラギラした若者がほとんどいないんですよ。女子高生たちも学校卒業したらきっとどこかに行ってしまう。老人たちは、もうこの町と一緒に滅びていくことを半ば受け入れているような感じがする。ヘンな話ですけど、僕の理想的な最終形態って「妖怪」なんですよね。人間って、良い歳のとり方をすると妖怪に近づいていくというおかしな仮説を持っていまして(笑)。例えばそこの中華料理屋、もはやレトロという言葉すらふさわしくないくらい年季入ってますけど、あの店の椅子に貼り付いたようなお爺さんがいる。
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- ああ、いそうだ。いそうですね。
- 藤原
- いるんです。その椅子や店も含めてその人の一部になっているかのようなお爺さん・・・・・・。昔、師とあおぐ先生が亡くなった時に、盟友だった哲学者の鶴見俊輔さんが告別式にいらしてて、僕の席のそばの通路をゆっくーり歩いていったんですけど、すーっと雲の糸をひいてるのが見えた気がして。「あっ、仙人だ!」とその時は思ったんですけど、あれがもっと俗っぽくなると妖怪になるのかもしれない。
行くべき時は行こうぜ!
- 藤原
- ここ数年、大事だと思っているのが「循環」という思想なんです。「金は天下の回りもの」という言葉があるけど、資本主義のシステムって、お金が循環しないと意味がないでしょう? それと、人が移動すること。移動によって、国境も含めたいろんな境界が揺らいでいく。僕は場が停滞しないように、循環するように、引っ掻き回すのが自分の役割だと思ってます。一種の道化ですよね。
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- というと。
- 藤原
- これは批判ではないので誤解しないで欲しいのですが、アカデミックな劇評家タイプだと、「研究」という側面がベースにあるから、どっちかと言うとどっしり構えた文章を書くことが多いと思うんです。
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- 構えた批評。
- 藤原
- いやそれ自体は悪いことじゃないですよ。一時的な流行に左右されないで、きちっとした研究成果を積み重ねていくことで後の世に大きな貢献を果たすかもしれない。その仕事はおそらくは重要なものを含みます。ただ、僕はそういう堅実なタイプではない。むしろもっと戦略的に、現実世界の様々な価値の境界を撹乱したい。そこに命賭けてるんですよ。どこにも所属しない、というストレンジャーだからこそ見えてくるものがあると思うから。アウェイの感覚をキープするのは結構つらいんですけどね・・・・・・。例えば北九州の枝光という小さな町に行って、そこで見聞きしたことを人に話したり記事に書いたりする。そこにひっかかりを感じた人が実際に枝光に足を運んだりする。何かと出会う。循環が起こる。それらの予期せぬ出会いが生まれていく可能性は閉ざしたくないと思っているし、そういう循環を促すような回路というか抜け道をほうぼうに生み出していく。四次元殺法的な感じで(笑)。でもそれが「メディア」の役割だと思ってるし、時代の過渡期にはそういう道化的な人物もそれなりの役目を果たしうると思う。今は引きこもりのフリをしてますけどね。
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- 身軽さ、ですね。
- 藤原
- でも例えば「越境」っていうと聞こえはいいけど、失敗例もいろいろ見てきてはいるので、あんまり楽観視してないです。とはいえ、あの手この手で動いていく。偶然の出会いもできるだけ受け入れる。まだ出会っていない他者の存在を常に感じる。これはもう自分の手の範囲の及ばない、アンコントローラブルな領域です。ごく素朴に言えば、世界は未知の驚異に満ちているということです。これは雑誌「エクス・ポ」などを通してここ数年お仕事させていただいてきた批評家の佐々木敦さんの思想の影響もやはり受けているのかもしれません。というか僕の中にもともとあったそういう部分を佐々木さんに引き摺り出された気はしています。ただ、未知の世界を目の前にした時に、そこでの道化的振る舞いに関して、自分自身、正体がよく分からなくなってくる。きっといろんな誤解も受けてると思うけど、長い目で見たら自分の行動はそれなりに一貫しているような気もしています。表に見せていることは氷山の一角にすぎなくて、水面下で動いていることのほうがはるかに多いんですけど。twitterもある種の煙幕ですよね。忍術みたいなものです(笑)。
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- 大切なのは、対話という事でしょうか。
- 藤原
- 対話もそのひとつ、ですね。日本は表向きは単一民族国家だと未だに信じられていて、「私もあなたも同じだよね」という同調を迫る文化。それだと今後の世界に対応していくのは無理なんじゃないですか? すぐ傍にいる隣人が、自分とまったく異なるバックボーンを持った他者かもしれない、という前提で今後はコミュニケーションしていかないと、様々なイシューに対応できないと思う。
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- なるほど。
- 藤原
- まあ、「和を尊ぶ」とか「阿吽の呼吸」みたいな日本式の文化の魅力もあるとは思ってます。だけど異なる他者との交渉力はきっと必要になる。解り合えない、という前提で何をするか。守りたいものがあるのなら、時には喧嘩だってしないといけないかもしれない。あるいは水面下で交渉し、あるいは正々堂々と議論する。行くべき時は行こうぜっていう。そこは今回の岩城京子さんのブログキャンプとか、あと武蔵野美術大学の「mauleaf」という学内広報誌も編集してるんですけど、そういう若い子たちに接する機会を通して、彼ら、というか女の子が多いので「彼女たち」でもいいんですけど、その視界にどんどん異物を放り込んでいきたい。みんな知識や刺激に対して貪欲だなってことも思うから、とにかく全力で球を投げ続けるっていう。
だから僕は、みんな違うという前提に立ち続けたいのかもしれない。
- 藤原
- ただこういう生き方ってもはやカタギではない。世の中を引っかき回したいとは思うけど、できれば人に迷惑はかけずに生きたい・・・・・・。
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- 私個人も、やはり迷惑を掛けている人は多かれ少なかれいるんですよ。きっと。婉曲的にでも、恩を返していきたいですね。
- 藤原
- 朝、二日酔いの頭で、幾らかの後悔とともに例えば太宰治のことをぼんやり考えたりします。生まれてきてしまったことへの原罪のようなものってやっぱりあって。ただ、後ろめたさに溺れていくのも甘えだと思う。デカダンス気取りではいられないんです。もはや生きてしまっている以上、開き直りということでもなく、その「存在している」という事実を過不足なく受け止めたい。そうすると、どんな隣人と一緒に生きていくのか、ということは考えざるをえませんね。今は幸いにも一緒に仕事をしようと言ってくれる人もいるので、本当にありがたいです。たぶん他人から受けた恩は、一生かかっても返しきれない。そのぶん、若い子たちに何かプレゼントできれば、と思ってはいるんだけど・・・・・・。
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- 藤原さんは、13歳から東京に移ったんですよね。
- 藤原
- 中学進学と同時ですね。寮ではなくて、アパートで一人暮らししました。なんでそんなことしたんだろう・・・・・・。未だに謎なんですけど、たぶん高知というそれまでいた世界とか、家とかが、窮屈に感じられて、外の世界で勝負したいって思っちゃったんでしょう。でも想像してた以上にキツかったです。いきなり知らない土地に放り出されたようなものだし。自分で選んだことだけど、まだ子供ですからね・・・・・・。
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- ようやるわ、と思います。
- 藤原
- 想像を絶する孤独でしたね。寂しいからテレビ付けっぱなしで寝たりとかしてたんですけど、途中で砂嵐になってむしろ怖いし眠りも浅いから、闇に耐えるしかない。同じ家に人がいるかどうかだけで全然違うんだと痛感しましたね。実際、空き巣に入られそうになったりとか、具体的な危険もあったし、ボロアパートだからヘンな虫とかもいたし、ほんとに夜が恐ろしかった。僕はいわゆる一般的な「反抗期」というものも経験してない。反抗する対象がいないわけだから。その頃からですかね、夜の徘徊癖が出てきたのって。待ってるのが怖いから、自分から夜に向かっていくしかなかったのかも。こう見えても結構不幸な人生を歩んできてるんですよ。それこそ京都にも心中しようと思って旅したことあるし(笑)。自分でもよくここまで死ななかったなと思います。「中学から一人暮らししてえらいね」とか同情されることはしょっちゅうでしたけど、いや誰にもこの孤独は共感出来ないでしょ?、と思ってた。だからよくあるホームドラマ的な家族観は苦手なんです。いや全然違うしって思う。「家族」なんて存在しない。「ある家族」が存在するだけだと思う。すべての体験は固有のものです。簡単に共感とか言われても困っちゃう。だから僕は、みんな違うという前提に立ち続けたいのかもしれない。
避難所のゆくえ
- 藤原
- 実は事件、とりわけ凶悪犯罪のニュースを見るのが半ば趣味と化してるんですけど、残念ながら、世の中に悪は存在していると思わざるをえないですよね。
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- 悪の存在の仕方?
- 藤原
- 荒川区に住んでいた時、バイト先の後輩にヤンキーとチーマーがいて、ヤンキーの子は闇金融に手を染めて結局少年院に行った。チーマーの子も酒癖が悪くてバイク事故を起こして離婚したり・・・・・・。どっちも素直でいい子だったんだけど、環境がそうさせてしまうことはある。僕は黒澤明の映画が好きなんですけど、やっぱり戦後の無知と貧困と闘ったあのヒューマニズムのようなものを、そのまま継承はできないにしても、ちょっと引き受けようと思う部分はありますね。例えば快快とか、岡崎藝術座とかの演劇って、そういう社会的にあぶれてしまった人たちをも呑み込んでいけるような力があるんじゃないかって気がしてます。そういう意味では、悪をゆるやかに溶かしていく、ということは意識としてはあります。ただ、悪を撲滅する、浄化する、という発想でいいのかどうかとなると・・・・・・。そこまで僕はまだ正義というものを信じられないんですね。今度出版する『演劇最強論』で宮沢章夫さんにインタビューした時に、宮沢さんが悪場所(あくばしょ)の必要性に触れていて。
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- 風俗店、パチンコ、場所じゃないですけどタバコとか。
- 藤原
- そうですね、盛り場というか。宮沢さんはニュータウンをフィールドワークしてそういうことを考えたと思うんです。整然と整備された街路がかえって人を狂わせるようなことがあるんじゃないかと。僕も、アシンメトリーとか、歪みのようなものが気になります。例えばこのあたりは地形が複雑で、起伏もあるし、道も蛇行している。死角が多いんです。それは防犯上危険という考え方もあるかもしれない。だけど人間、キレイな場所だけでは生きていけないと思うんですよ。特に今の時代、勝ち組とか負け組とか言われて、落伍者には敗者復活戦のチャンスもなかなか与えられない。だからみんな失敗を怖れるし、一度得たら、それがどんなにちっぽけなものであっても、必死に椅子にしがみつこうとする。生き急ぐ。だけど人間は必ず失敗するし、挫折だってするでしょ、と僕は思うんです。そういう時に身を寄せられるような場所がないと、社会は、というか、人間は、成り立っていかないんじゃないかな。僕は10代の大部分を居酒屋と雀荘で過ごしましたけど、明らかに、アジール(避難所)として機能してましたよ。いろんな人たちが遊びに来てた。他に行く場所がなかったんじゃないかな。
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- 社会から遊びの部分が無くなるというのは、きっと良い流れではないんでしょうね。猥雑さ。
新しく生まれるもの
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- 猥雑さ。話は飛びますけど、それは子供鉅人が強烈に持っているものですね。
- 藤原
- そうですね。こないだの『幕末スープレックス』も実に猥雑ですごく面白かった。傑作でしたね。大阪の、彼らが育ってきた環境があの猥雑なパワーを生んでいるのかも。びっくりしたのが、菊の御旗さえも「ええじゃないか」の踊りに巻き込んでいってしまうところ。あの飲み込んでいくパワーは凄いと思った。益山貴司くんは自分は在日だとインタビューでも答えていたけど、「日本」の虚構性を肌で感じつつ、単なる批判とかではないもっとクリティカルな懐の広さをあの作品で体現したんじゃないかと。あと弟・益山寛司くんのあの性的倒錯ぶりはほんとかっこいい! ああいう人たちがどんどん出ていってほしいなー。商業シーンにも進出してほしいし。
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- おお。
- 藤原
- 例えば深夜ラジオとか。あれも一種の悪場所だと思うんですよね。まあとにかく社会の中に遊びをやれるだけの余裕がなくなってるから、単にオッサンとかに買い叩かれていくのではなくて、自分たちで悪戯できるような場所をつくっていくしかないのかな。きっと理解者はマスメディアの中にもいると思います。ただ札束ちらつかせて身体の関係を求めてきた、みたいな話も未だに聞きますからね。マジひくわー。いやほんとに終わってる連中もいるので、さすがにそういうオッサンには早々にご退場願いたい。ここ2、3年が正念場かなって気はします。ここで新しい価値をつくっていくことができたら、日本も多少は良い国になれるかもしれない。いや、もう国家という単位で考えていいのかも分からないですけど。さっきは撹乱ということを言いましたけど、同時に、新しい価値をビルドしていくことも大事。ただそれは僕ではなくて、若いアーティストたちの仕事のような気もします。分かんないですけど。
仕方ないわけないじゃん
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- これからは若手の時代。私もそう思うんです。個人発信の時代になって、それが当たり前の環境になって。そんな時代、若手がどのような成り上がり方をするのか楽しみです。
- 藤原
- 今とは違う世の中の可能性を見せてほしいです。芸術家にはそうした使命もあると思う。僕は大学時代には政治学を学んでいた、というかかじっていたんですけど、さっきの鬼籍に入った先生、高畠通敏先生というんですが、退官記念の講演で『ミッション』という映画の話をされて。18世紀に南米に行った宣教師の「理想」が、植民地主義の「現実」に敗北するという史実に基づいた話なんですけど、先住民を虐殺しなきゃいけないような状況になって、確か枢機卿が「仕方ない、これが人間の世なのだ」とうそぶく。それに対して宣教師が、「仕方ないわけないじゃん。この世界も人間がつくったものじゃないか!」と言ってブチ切れるという。
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- ・・・。
- 藤原
- 先生が最後にその映画のエピソードを語ったというのは未だに印象に強く残っていて。マキャベリという思想家を引用しつつ、「運命は与えられるものではなく、つかむものだ」というような話も講義でされていたと思う。だから世の中変えられる、って思っちゃってるんですよ、僕は。今の日本の社会が唯一絶対のものではないから、別に今あるものだけを唯々諾々と受け入れる必要はない。でも今の若い人にはわりと現状肯定してしまう傾向を感じてて、だって別にそんなに貧しくないし、そこそこ楽しく生きられるし、みたいな感覚があるのかもしれないけど、いやいやばっちり搾取されてるし(苦笑)。よく友人のデザイナーともそんな話をするんですけど、「時給」という考え方がそもそも意味分からない。編集もデザインも、時間給に換算されるような仕事じゃないんです。切り分けられた時間の中に所属しないような仕事もある。とにかくいろんな可能性をもっと見てほしいなと僕は思いますね。日本では幸か不幸か、革命で一夜にして何かが変わるというようなことは起こらないかもしれない。でも人間が世の中を少しずつ変えていくんで。アーティストでも、制作者でも、もしかしたら批評家でも、世代交代が進んで、要所要所に新時代の感性を持った若い人たちが出てきつつある。アントニオ・グラムシという人の、「認識においては悲観主義者たれ、意志においては楽観主義者たれ」という言葉が好きなんですけど、まあ、だからケセラセラの精神で陽気ではいたいなと思ってます(笑)。
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- 行くべき時には行こうぜ、ですね。
ちょっと沈んでる、くらいでもいい(笑)
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- 今後、どんな感じで攻めていかれますか?
- 藤原
- 攻める? うーん。表向きは負けててもいいかなという感じです。ズルズル後退しているように見せて、実は伏兵で搦め手から奇襲して相手の根城を奪い取るとか(笑)。
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- なるほど。
- 藤原
- 若い頃ほんとうに毎晩麻雀ばっかやってたんで、まあ少なくとも何千回と打つわけですよね。そうするともはや一回一回の勝負に一喜一憂しなくなるんですよ。一晩通してトータルで浮いていればいいし、もっといえば一ヶ月とか一年単位で浮いてればいい。さらにいうならば、もう一生単位で見たら別にちょっと沈んでる、くらいでもいい(笑)。阿佐田哲也のギャンブル小説が僕の10代の頃のバイブルだったんですけど、勝負師っていうのは、結局はみんな敗者なんじゃないですか? いかに美しく敗北していくか。そこにその人の生き様がかかってる気がします。
軽蔑というのは、最後の手段にしてほしい。/無数の眠った声
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- 最後に。地域の演劇についてお考えを聞かせて頂きたく存じます。私は京都・大阪と住んで来てそれなりに経ち、さらに東京の演劇も面白く拝見するようになってから余計にそうした事を考えるようになったのですが・・・。
- 藤原
- まだ現時点で確実な答えは返せないんですけど、今後は東京もひとつの地域として見なしていくことになるかもしれないとは思ってます。日本経済が衰退してしまって、明らかに往年のパワーはもはや東京にはない。そのプレゼンスは相対化されざるをえないでしょう。ただ、俳優の演技力とか演出のセンスといった面においては、地方都市と東京とではまだ随分ひらきがあるのではないかとも感じます。京都はちょっと別格でしょうけどね。ただその格差に関しても、人が移動して循環していくことで、変わっていく可能性はあると思います。特に多田淳之介さん(キラリ☆ふじみ芸術監督/東京デスロック主宰)とか、いろんなものを伝播させていく力を持ってる人だと思う。あとこないだ岡崎藝術座の神里雄大くんが言ってたんですけど、もはや「国家」ではなくて「街」単位なんじゃないかと。韓国とか台湾ではなくて、ソウルとか台北なんだと。確かにそういう発想で、アジアの様々な拠点を結んでいったら面白いかなと思います。そういう発想も全然、夢物語ではない。現実の話です。僕は横浜に引っ越してきたけども、東京と横浜も明らかに違う。ここも少し離して考えてみたい。
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- 距離的に離れてそれぞれの環境がある。
- 藤原
- それぞれの点はバラバラのままでいいと思うんです。むしろリージョナルな可能性をもっと追求してもいいのかもしれない。それぞれの土地のヴァナキュラーな言葉や記憶にアプローチしていくとか。僕が今横浜でやろうとしているのはおそらくそれです。例えばこの辺りで飲んでると、伊勢佐木町のメリーさんの話が会話の端にのぼったりする。記憶が色濃く残ってるわけですよね。そうやって足場を仮構しつつ、その上で、別の地域に移動して、点と点を結べばいいというか。
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- 移動する。そうですね、集中する必要はないですね。首都の周りを周回する衛星都市など、存在しない。我々は色々なところに種を撒いていけばいいんですね。
- 藤原
- あるコミュニティに根ざして生きる人もいます。一方でデラシネとして移動する人もいる。堀江敏幸という作家が『おぱらばん』に書いていた随筆に、スナフキンはムーミンがいるからこそスナフキンでいられるのだ、とあって、なるほどと思いました。寅さんだって、柴又の家と人々があるからこそ寅さんを演じ続けることができる。どっちも必要な存在だと思います。よく、コミュニティの人間がデラシネやノマドを軽蔑し、逆もまた然りということがありますが、その違いは違いとして受け入れて、お互いに敬意をもって耳を傾けることはもっとできるはずだと思います。背景も立場も、やろうとしている事も違うけど、その違いによって相手を否定しているわけではない。自分に自信があれば、他人を軽蔑する必要もないと思います。対話したり、良い意味での喧嘩はあっていいけど、軽蔑は良くないんですよ。これは本当にこの場を借りてみなさんにもお願いしたい。軽蔑というのは、最後の手段にしてほしい。そんなに簡単に切ってはいけないカードだ。
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- 軽蔑。相手を矮小化して自分の価値観を守ろうとする反応だと思っています。もちろん、間違っていると私も思います。でも大変なんだと思うんですよ。良く知らない相手に対して、窓を開け続けるという事は。それが出来る人というのは、物凄く頼り甲斐を感じますね。藤原さんの窓はかなり広そうな気がしますね。
- 藤原
- いや、僕はまったく聖人君子ではないですよ(笑)。ただ10代、20代とかなり生きるのが大変で、誇張ではなくて、自殺することばかり考えていたような時期もかなりありました。結局自分にその蛮勇がなかったことをありがたく思うしかない。とはいえ何度かピンチを切り抜けて来られたのは、他人のおかげなんです。それは自分でコントロールできるものではないと思うんですね。もちろん僕にも好き嫌いはありますけど、そう簡単に他人を拒絶できないと思った。誰がどこでどんな救いの手を差し伸べてくれるか、まったく予想外のことばかりが僕の人生には起きてきたんです。そういう意味では、自分で選んだことなんてそんなにないのかもしれない。自堕落な人間です。大抵の場合、いろんなものに巻き込まれて生きてきたから。でも下北沢で35年くらい「いーはとーぼ」という音楽喫茶を経営してきた今沢裕さんという変わった人がいるんですけど、この人が「必然性のないことはするな」と言っていて、最近その意味が少し分かってきたかなとも思います。必然性のないことはしたくない。できればずっと寝ていたい(笑)。代書人バートルビーの言葉を借りて言うならば、「せずにすめばありがたい」んです。でもたぶん、演劇を観て、それを何かしら言葉にしていく作業というのは、僕の中では必然性のある行為なんだと思います。少なくとも今のところはそうですね。あとやっぱり、人間の謎の部分に興味があるんですよねえ・・・・・・。例えば、今そこの歩道におばちゃんが立ってるでしょ?
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- いますね。
- 藤原
- あの人がどういう人生を歩んできたか、僕にはさっぱり分からないし、大抵の人とはそのまますれ違っていくじゃないですか。でも酒場ではそういう人と出会ってしまって、ちょっとここでは書けないような淫靡な話を聴いたりする。公の場にはなかなか出てこないような話というものがやっぱり世の中には眠っている。無数の眠った声。小説や戯曲には、もしかしたらそういう言葉が書かれうるかもしれない。やっぱりそのダークサイドにどうしても惹かれてしまうし、芸術に興味を持つのもそのせいかもしれません。
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- 分からない何かを、みんな持っている。
- 藤原
- どんな人にも謎はあります。それを無視して、簡単に他人を軽蔑したりはできないって思います。
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- ええ。・・・あのおばちゃん、まだ立ってますね。
栗ようかん
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- 今日はですね、お話を伺えたお礼にプレゼントを持って参りました。
- 藤原
- ありがとうございます。わざわざ遠くまで来ていただいたうえに、お気遣い感謝します。
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- どうぞ。
- 藤原
- 素敵ですね。美味しそうです。頂戴します。